一昨年7月「知的生産の技術研究会」特別顧問だった梅棹忠夫先生が亡くなられた。先生と直接お話したことはないが、長年同研究会の活動に参加してきて、先生の遺徳というか、業績に触れて、時代の一歩先を歩まれ、われわれに現代社会で学ぶべき基本を教えていただいたと感じている。昨年大災害をもたらした東日本大震災と、その後の原発事故についても梅棹先生はある程度予感していたのではないかと思える節が、先生の言動の中に窺がえる。先生は文明の進化は脅威とも成り得るとまで仰っていた。
今月2日に放映されたNHK・教育テレビ「暗黒のかなたの光明~文明学者梅棹忠夫がみた未来~」でこんな言葉が紹介された。
「文明はすすみます
これはブレーキをかけても
なかなかとまりません
どんどんとすすんでゆく
いままで文明というものは
人間が自然を征服して
ひとつの独自の世界を
地球上に構築しえたとおもっていた
ところがそれはまったくの
まちがいであったということです
じつはわれわれは文明を
すすめることによって
自分の墓穴をほっていたんだ
文明というものは
まさにそういう自分自身の存在の基礎を
ほりくずすことによって
成立しているような
まことに矛盾にみちたものなんだ」
これは梅棹先生が今から40年以上も前の1970年に書いた「未来社会と生きがい」の中のメッセージというか、感想といおうか、冷徹な分析の一節である。先生は東日本大震災も福島原発事故も先刻お見通しで、人類のうぬぼれを戒め、謙虚に生きることをこの至言の中に匂わせていた。
探検家としてもフィールドワークにひとつの学問的分野を切り開いた先生はこうも言っておられた。「自分の足で歩き、自分の目で見て、その経験から自由に考えを発展させることができる」と。象牙の塔に籠ることなく、実践的に自然の中を歩き、人間は自然界とともに生きるべきだと主張された先生の真骨頂が窺がえる。
僭越であるが、正に私自身も実際に山を歩き、海外をひとりで行動し、自分なりの行動力学のようなものを会得したと思っている。「まずひとりで行動せよ!そして考えよ!」、そして「若い時にこそ収穫の多い途上国へ一人旅して、五感で現場に漂う生の空気と臨場感をつかんでほしい」と後輩たちに常々語っているのも、今どきの若者がフィールドへ出て身体で自然に触れることや、海外へポジティブに出かけようとしない消極的な姿勢を心配しているからである。
梅棹先生は亡くなられたが、今もその思想は脈々と生き、新鮮さを保っている。