昨日サッカーのロンドン・オリンピック・アジア最終予選で日本はシリアと戦い2-1で敗れた。相手は前日国連安保理事会で制裁決議を免れた国である。国内の民主化デモを徹底して弾圧しているアサド大領領に対する国際的な反発が日増しに強まっている。シリア国内の治安が相当乱れているため、本来アウェー方式でシリア国内にて行われるべき国際試合だったが、シリア大都市では一触即発状態で万が一のケースを想定、憂慮した主催者のシリア・サッカー連盟が、南の隣国ヨルダンで試合を行うことを決めた。厳戒態勢で行われた試合会場には観客もまばらで、試合こそ白熱したが、国際試合五輪出場権を争う試合にしては些か寂しい試合となった。しかも、母国シリアを逃れたシリア人難民が、母国の選手はアサド大統領チームの代表選手で、真のシリア代表チームではないとして日本選手を応援する有様だった。
とにかく政治、外交問題がスポーツの世界にまで影響を及ぼし、国内の混乱状態が隣国まで巻き込んでいる状態である。
シリアの制裁を主とする国連決議が通らなかった事態は、むしろ問題の解決を先延ばし、かつ中ロのアサド一辺倒の姿勢を変えさせなければ解決は難しい。
さて、今夕の日経紙の写真入り死亡記事を見て仰天した。お世話になった、登山家・芳野満彦さんが亡くなられたのである。80歳だった。3年前の2月、新宿のハイアット・リージェンシー東京で開催した拙著「停年オヤジの海外武者修行」出版記念会に、わざわざ水戸からご夫妻お揃いでご出席いただき、温かいお祝辞をいただいた。
芳野さんは登山界では知る人ぞ知る、伝説的なアルピニストだった。5年前に小田急百貨店展示場で芳野さんの絵画展でお会いしたのが最初の出会いだった。学生時代に登山に熱中していたせいで、芳野さんはある種憧れの登山家だった。また初登頂の栄光の陰に、衝撃的な悲運にも襲われた。
1965年8月初めて日本人としてマッターホルン北壁を登頂直後に同行者の渡部恒明さんが、アイガー北壁にトライして墜落死した。若いころに両足先を凍傷で失った不自由さを精神力と努力で克服し、偉業を成し遂げた魂の人だった。新田次郎の「栄光の岸壁」のモデルとしても知られていた。温和なお人柄で誰からも好かれていた。残された足跡は数え切れない。
芳野さんは山岳画家としても知られている。私も3点ほど芳野さんの山岳画を所有しているが、その中でも最も気に入っているのが、やはりマッターホルンの画で自宅の居間に中川一政の画と並べて架けてある。芳野さんも一政の画が大好きで尊敬する画家と言っておられた。お歳のせいか、近頃は大分お疲れのようでもあった。あれっきりお会いすることもなくなってしまったが、とても素敵な人だった。
拙著「停年オヤジの海外武者修行」の表紙帯に寄せていただいた、芳野さんの私にはもったいないような推薦文を紹介しておきたい。
「とにかく面白い本だ。読み出したら止まらない。戦火のベトナムや71カ国訪問はラガーマン、山男として体力気力をつけての自信だろう。停年オヤジが旅行する際の『経験と知恵』『バランス感覚』『判断力』『社会常識』とはっきり現代の若者にない利点を、われわれ老人を代表して書いてくれている。シベリア鉄道の旅は小説を読むような感動と興奮を覚えた。とにかく面白い本だ」。
惜しい人を喪った。お世話になった芳野さんに心からありがとう、そして安らかにお眠りくださいとお伝えしたい。芳野さんのご冥福をお祈するばかりである。 合掌