国外ではギリシャへの金融支援問題とシリア国内の反体制派弾圧問題が世界中の耳目を集めているが、国内的には沖縄の米軍再編、それに絡めた米海兵隊の国外移転とTPP加盟、原発再稼動が話題を集めている。
そんな中で明日震災地の復興を支援する官庁、復興庁が漸くスタートする。すでに震災から1年近く経って漸く被災者へ国の支援が組織として機能することになるわけである。それにしてもあまりにも遅いのではないか。昨年6月に復興庁の設置が決まったが、いつもながら政局に時間を費やして設置のための法律が国会を通過したのが昨年末の12月で、復興庁自体はやっと緒についたところだ。そのせいか新聞では今日の朝刊、夕刊とも復興庁の発足についてまったく触れられていない。僅かに夜のテレビニュースで知る程度である。従って復興庁の業務というのがどういうものか知らされていない。普通は「庁」なら当然トップは長官であるが、この復興庁だけは復興担当大臣を務めていた平野達男氏が就任し復興大臣となった。復興庁はどうやら議事録をまったく残さないことでその名を高めた、震災復興対策本部を母体に発展的に権限のある省庁に格上げしたわけである。そこで働く役人にどれだけ魂が篭っているかが問われる。しかし、国民によく分からない役所、業務内容では果たして広く国民に理解してもらえるだろうか。
さて、今日で東京の新名所・東京スカイツリーの開業まであと100日になったということから、ニュースで大きく取り上げられている。周辺地域の商店街ではあの手この手で地域の活性化を考えているようだ。ツリーの主たる施工主、東武鉄道の如きは、なりふり構わず乗客呼び込み策として地域住民に親しまれた駅名まで変えるようだ。伊勢崎線をスカイツリーラインとするのを始めとして、伝統のある「業平橋」駅を陳腐な「スカイツリー」駅にして伝統とはおさらばするようだ。テレビ朝日の「報道ステーション」の女性アナが、せっかくの伝統ある名前をわざわざ英語名にする必要はないと思うと遠慮がちに述べていたが、古館キャスターも相槌を打っていた。その通りである。どうして伝統を捨ててまでして横文字にする必要があるのだろうか。まったく理解できない。業平橋と言えば、江戸時代以来多くの文献にその名が出てくる由緒ある名前である。東武という企業はよほど文化に関心が薄いと思われて損だし、業平橋を捨てるのはいかにももったいないと思う。いくら乗客誘致策とは言え、あまりにも安易で不見識な東武鉄道の広報活動に会社の姿勢とそのセンスに首を傾げざるを得ない。
東京スカイツリーの開業まであと「100」日とはまったく関係ないが、今日は昭和の大横綱双葉山の「100」歳の誕生日である。