1771.2012年3月19日(月) 社民党の凋落ぶりが情けない。

 もう長い間社会民主党の低迷ぶりを情けない思いで見守ってきた。党勢の落ち込みが甚だしく、党員数は全盛期の13万人から今や2万人のレベルにまで凋落した。更に深刻なのは、国会議員数も今やたったの10人となった。国政の場でも影が薄いのだ。かつて最盛期には200人近い議員がいたことを考えると、ここまで議員数が落ち込んだのは、時代背景もあると思うが、やはり党として国民に支持される活動を怠ってきたからだと考えざるを得ない。

 翻って社民党は、これまで支持基盤だった労働者層や学生層に今どれだけの支持者がいるだろうか。ほとんど何もやっていないので、支持者がそんなにいるとは思えない。毅然としてリーダーシップを取り、国民と党を引っ張っていけるリーダーが党内にどれほどいるだろうか。これもノーである。最大の問題は党内に活力がないことである。戦後社民党(前身の社会党を含めて)が伸展してきた背景には、その支持母体だった第一線の官公労、現場で働く鉄鋼ら大手企業の労働者、国鉄労働者、炭鉱労働者ら、及び学生らの強いサポートがあった。

 組合運動の旗を振っていた社民党が、とどのつまり旗を振らなくなったのだ。戦後日本の労働運動を理論的にリードしていた進歩的学者、大内兵衛氏や向坂逸郎氏らのようなカリスマ的な理論家がいなくなった点も組合運動を減退させた要因のひとつである。総評のように強力だった労働運動総本山が旧連合と合併して、新たに発足した連合が社民党を見限り保守路線へ舵を切ったことも凋落の大きな原因と考えられる。そして新連合は与党民主党の支持団体へ鞍替えしてしまった。強力なシンパだった国労、動労、炭労、炭労は、社民党のシンパとはなり得なくなった。

 確かに今ではかつての国鉄は解散してJRとなり、かつての国労や動労のようなスト権も辞さない強力な組合運動に支えられていた時代は遥か昔のことになってしまった。今では分社化されたJRは、社民党支持者ではなくなった。社民党の支持母体はみな「自然没落」してしまったのである。そんな時新しい風を吹き込むべきリーダーがいなかったことが党の発展にブレーキをかけてしまった。

 労働者の待遇が向上するにつれ、労働運動の低下はある程度予測できたはずである。なぜ学生団体へ呼びかけて学労一体となった労働運動発展の道を探らなかったのだろうか。労働者と学生へ目を向けていると言っていた社民党ではあるが、あまりにも対応が甘い。これでは何もやらなかったのと変わらない。

 連合の力の衰えに比例するように学生運動も完全に勢いを殺がれた。学生のエネルギーの衰えは、基本的に学生自身に問題があるが、社民党のエネルギーの減退とも深い関連がある。

2012年3月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com