母校湘南高校ラグビー部を創部し、初代ラグビー部監督、且つ初代OB会長を務め、今日神奈川県内ラグビー界で母校がそれなりの存在感と影響力を持つラグビー部たらしめた功労者だった岩田明さんが、昨年夏亡くなられた。今日午後先月開館した「湘南高校歴史館」のラグビー部OB・OGへのお披露目も兼ねて、同館内で「岩田明さんを偲ぶ会」が催された。関係者約60名が相集い、スライドを観ながら岩田さんの功績を偲び、心からご冥福をお祈りした。その後近くの中華料理店で懇親会を開催し、第2代OB会長として冒頭に献杯の発声と挨拶を務めた。
私が岩田さんからOB会長を引き継いだのは、2001年元旦だった。その前年秋思いがけず岩田さんから電話をもらい、自分は翌年元旦開催のOB総会で会長を退くので、その後任を引き受けて欲しい、すでに主なOBには話をつけてあるから会長を頼むと言われた。あまりにも突然の命令にしばし時間の猶予をいただくことにして、その暮れに出かけたカナダの旅行先から承諾の葉書を送ったことを思い出す。後になって岩田さんからラグビー部も国際的になったものだと冷やかされた。
実は、元旦開催のOB総会で会長職を継ぐセレモニーを行うことになっていたが、その当日になって校内の石段で、しかも正に私の目の前で主役の岩田さんがけ躓いてその石段から転げ落ち、重傷を負うハプニングが発生してしまった。私が咄嗟に携帯電話で救急車を呼ぶ騒ぎとなった。岩田会長はそのまま救急病院へ搬送され、前会長抜きの異例の引継ぎセレモニーとなってしまった。とにかく岩田さんの往くところいずこも話題が溢れていたような印象がある。
今日の偲ぶ会でもそれぞれOBの思い出話を聞いていると、やはり型破りの話ばかりで岩田さんは個性的な方だったなとつくづく痛感する。あれだけの唯我独尊的行動も、あの時代だからこそできたことなのかも知れない。晩年は岩田さんと若干行き違いがあって、信頼された会長就任時に比べると必ずしも意思の疎通が良かったとは言えなかったが、それでもラグビーを通して「前進」「情熱」「実行」「ファイト」などを身体全体で教えてくれた人だった。黄泉の国へ旅立たれた今になってみると、何とも言えず懐かしい気持ちを抱かせる方である。心よりご冥福をお祈りしたい。
今日は前顧問の芹澤栄先生、先輩の渡辺誠さん、同期の大島泰毅君、後輩の井出川洋君、鈴木敦雄君、新婚の和田典子さんらにも久しぶりに会えて楽しかった。