昨深夜東京電力柏崎刈羽原発が定期検査のため停止され、わが国原発54基の内、稼動しているのはついに北海道電力泊原発3号機の1基だけになってしまった。これも5月には発電を停止して日本ではすべての原発が止まる。
さて、わが国ではこれからこの原発問題に真剣に向き合ってどう対処しようとするのか。わが国にとって喉元に匕首を突き付けられたも同然である。これまでは、他のエネルギー装置の稼動と原発54基の稼動により日本国内で必要とされる電力需要は賄われていたと信じられていた。今その大半を占める原発が機能不全に陥り、経産省や電力会社ら再稼動派は何とか原発再稼動を考え、あの手この手の再開策を考えているようだ。その一方で、福島原発事故以後国民の間に原子力の危険性が広く理解されるようになり、その恐怖感に絶対原発再開反対を唱える人たちが賛成派との間で、激しい議論が闘わされるものと思われる。
しかし、わが国では残念ながらこんな重要な問題が国を挙げて議論される空気が感じられない。わが国のような未成熟とも言われる民主主義国家では、重要課題について正面切った論争が行われず、時間だけが過ぎ、なし崩し的に前に倣えとばかり、いつの間にか先祖帰りしているケースが多い。実際菅前首相の脱原発発表に対してこれを支持する体制側の声は小さく、言論界の脱原発の声も次第に掻き消されていった。その一方で密かに原発再開、再稼動の動きが蠢きだしている。首相が交代するや野田首相の発言は「原発依存からの脱却」となり、ややトーンダウンしている。その背景には経産省、電力会社、御用学者らの原発稼動賛成派のすさまじい圧力がある。
そこへ福島原発事故前に電力会社側が原子力科学者へ密かに、深謀遠慮をめぐらす工作を行っていた実態のひとつが炙り出された。全国で最多の原発を抱える福井県から依頼された原発の安全性を審議する福井県原子力安全専門委員会の12委員の内、何と5人が関連団体から何らかの寄付を受けていたというのである。これでは委員が原発は危険だという提言を言い出す筈がないではないか。ほとんどが国立大学の教授である委員らは、賄賂をもらっておきながら、自分たちは科学的根拠に基づいて研究を続けており、寄付などで考えが左右されることはないと白々しい弁解を述べているが、誰がそんな妄想を信じるものか。彼らが賄賂を受け取って原子力の安全性を強調して、やがて原発は稼動への路線を辿るのだ。こういう御用学者には良心のかけらも見られない。とても学者と呼ぶに値しない似非学者たちである。
またお隣の韓国の原発でもトラブルが発生して稼動を停止した。数日前のトラブルに続いて2度目である。原発で事故を絶滅しようと努力しているのは分かるが、人間が行うことで絶対事故はないと言ったところで気休めでしかない。そのうちに他の国でももっと大きな事故が起きないとも限らない。
福島第一原発の2号機の格納容器内の水が大分減っていたとのニュースが今日伝えられた。また、汚染処理水が海へ流れ出ているとの報道もあった。使い物にならないので廃炉にしようとしている福島原発で後から後から心配の種が出てくるのである。すでに決定した福島原発の廃炉だってこの先どれほど時間と費用がかかり、いつ片がつくのか分からない。やはりこんな人類を破滅に導くような危ない装置は、廃棄するしかないのではないだろうか。