朝から雲行きの怪しい年度末を迎えた。ちょっと気がかりなのは、横浜市内に住み話題の「オリンパス」に勤務している長男が今秋大阪へ転勤するとのほぼ確実な転勤辞令を考慮して、長男家族5人が揃って大阪に近い奈良県生駒市へ今日引っ越して行ったことである。尤もまだ辞令の出ない長男はすぐ帰る。3人の子どものうち、今月小学校を卒業した孫がこのまま横浜市内の中学校に進学して、その半年後に関西へ転校しなければならないことを気にした長男が、家族を一足先に引越しさせて新しい中学校へ入学させ、自分は半年間わが家へ居候したいと言い出した。短期間の居住のために1DKアパートを借りるのも無駄なので、同居を認めたが、長男がこのまま仮定転勤に終わらないよう願うばかりである。
今日は横浜のY.C.& A.C.グランドで7人制高校ラグビー大会が行われたが、生憎昨日から心配していた通り時間の経過とともに風雨が激しく最悪のコンディションになってしまった。これほど酷いグランドコンディションは私の知る限り初めてである。JR山手駅からY.C.& A.C.へ行くのも一苦労で横殴りの雨に強い風の中を迷いながら何とかグランドに辿り着いたが、試合は1回戦だけですべて中止と決まった。母校湘南高は都立大泉高に勝ち、2回戦で県立千葉高と戦う予定だったが、中止に決まった。結局1試合も観戦することはなく、参加校OBが参加する懇親パーティにだけ出席することになった。
今年は文武両道と言われる東日本の公立高校7校に日仏学園を加えた大会になったが、主催者と後援者がよく高校スポーツの意義を汲み取り、和気藹々にしてホスピタリティを持ってもてなす運営は、気持ちの良いものである。東大ラグビー部と慶應J.S.K.S.が陰で支えていた。実際懇親パーティでもボランティアの人たちの気持ちが伝わってきた。特に震災地から宮古高が招待参加し、後援する東大ラグビー部が別室でパーティを開催して宮古高との交流を深めていた。湘南は門田OB会会長、大石コーチらが大会幹事校として主体的な役割を演じていた。
私はパーティで予めスピーチを要請されていたので、1978年にラグビー校を訪れた時のエピソードと、森喜朗元総理の父親が戦時中トラック島でラグビーを通して島民と交流を深めていた話をした。残念ながら今日は試合を応援することは叶わなかったが、Y.C.& A.C.の組織とこのトーナメント大会の主旨を知ることができた。来年以降母校湘南がどのように関わって大会開催に協力し、継続していくのか、OB会でも検討する必要があるかもしれない。