このところ連日北朝鮮が打ち上げる核ミサイル関連ニュースをめぐっててんやわんやである。4月15日の金日成・初代最高指導者の生誕100周年を祝うイベントの前景気に、国の威信を賭けて人工衛星を打ち上げるのだという。ところが、世界はその言い分を端から信用せず、科学的な人工衛星ではなく、軍事力としての核ミサイルだと見抜いてしまっている。にも関わらず北朝鮮の強弁は、宇宙の科学的実験の権利を行使するもので外国から文句を言われる筋合いではないと開き直り、自説を曲げようとしない。
これには欧米をはじめ世界中が国連決議に違反するとして強く抗議しているが、北朝鮮は一向に悪びれる様子が見られない。シリア制裁では国連決議にロシアと中国が異を唱えたが、今度の北朝鮮のわがままには流石に反対を表明している。一番交流の深い中国も何とか説得に当たっている。
問題は、北朝鮮の発表通りの打ち上げだとすると、飛行コース及び落下地点が日本の沖縄先島諸島上空を通過することであり、場合によってはロケットの破片が日本領土内に落下する恐れがあることである。
以上の点からわが国は、自衛隊基地にある迎撃ミサイルPA3を迎撃可能地点へ配備したり、海上にはイージス艦を待機させている。
この間日米韓は、安保上の配慮から連携しながら打ち上げ当日を待つことになる。中国もおっとり刀で遠慮勝ちに北朝鮮へ打ち上げを中止するよう働きかけているが、北は依怙地になって打ち上げようとしている。
アメリカは外交努力によって、何とか活路を開こうとしているが、効果はない。2月に米朝会談で核開発を停止するとの前提で北に緊急食料援助を行う交渉がまとまったが、これも一時凍結である。聞く耳持たぬ北には何を言っても無駄だが、はっきり言って各国とも外交努力だけでは北を説得することは不可能と悟ったようで、無力感が漂いだしている。
わが国は表向き政府が北朝鮮に、核ミサイル打ち上げは国連決議に反していると非難しながら、実質的には効果的な手を打っていない。先日北京で開催された核サミットで各国と真剣に話し合うことをせず、野田首相もすぐ帰ってきてしまったほどの失態をさらけ出した。国内では田中直樹防衛大臣の失言が相次ぎ、自衛隊に対する信頼まで損なわれつつある。評論家諸氏のミサイル迎撃についても成功、失敗で議論が分かれている有様である。
国内では予告された核ミサイル打ち上げ問題ひとつで、この周章狼狽の状態である。消費税値上げ問題しかり、原発再稼動問題しかり、そして今また北朝鮮の核ミサイルでうろたえている。国がまったく機能していない。
さて、朝日夕刊に連載している「ニッポン人・脈・記」で昨日は懐かしいNHK英語会話の講師、田崎清忠氏の記事が載っていた。すでに81歳となっておられる。今日は田崎氏の助手を務めた、マーシャ・クラッカワーさんが紹介されている。この人も随分印象深い人である。もう30年にもなるであろうか、かつて英会話を習っていたカール・ニッフィン先生と同じアパートに住んでおられたので、先生のお宅へ伺った時に何度かお会いしたことがある。そのクラッカワーさんの言葉が気に入った。
明治維新の頃、或いは戦後まもなくの日本人の英語熱には切実さがあったという。ところが、「今はNECESSITYがない。それが一番の問題。本当は切実なのに感じていない、外を見ていない」と学生の英語に対する姿勢に苦言を呈している。分かる、分かる。妙に若者に対して物分りが良い人物が現われるが、今の学生が甘いのだ。
今日はゼミの恩師の追悼文集第4回編集会議を日本プレスセンターで行った。イメージではあるが、少しずつ形ができてきた。私は編集長としてノルマである原稿を書き終えたが、ちょっと長過ぎた。それでも何とかほかの編集委員の了解を得た。