1799.2012年4月16日(月) 亡父が出征した北朝鮮は今どうなっているのだろう?

 昨日北朝鮮の首都・ピョンヤンでは金日成主席の生誕100年を祝う閲兵式が行われ、朝鮮民主主義人民共和国、朝鮮労働党、朝鮮人民軍の最高位に就任したばかりの金正恩第一書記が生の声で演説した。

 意外に通る声で20分ほど話したようだが、最初から最後まで誰が書いたか分からない原稿をただ読んでいただけだった。これで国民は金正恩のカリスマ性を崇め奉り、拍手喝采するのである。こうして国は内部から劣化し、国民は益々極貧状態に追い込まれていく。誰が黒幕なのか分からない形にして、国民は完全に掌に乗せられてリモートコントロールによって動かされているような気がした。北朝鮮としては、国民の国家に対する忠誠を集めるためにカリスマを作る必要があり、そのカリスマ人物として金正恩が祭り上げられただけに過ぎない。ミサイル発射に対して、重大な国連決議違反として国連は議長名による非難声明を採択した。そういう諸外国の非難にも関わらず、早くから北朝鮮の次なる出方は核実験と噂されている。

 昭和19年1月亡父は応召され、勝田(茨城県)で予備訓練の後、北朝鮮のピョンヤン(当時平壌)へ出征した。幸い長く留まることはなく、思いやりのあった軍医の計らいで平壌陸軍第一病院へ入院させられ、内地へ送還となったお陰で部隊の南方派遣から免れ、命拾いしたと父から度々聞かされた。父のエッセイにもそう書いてある。エッセイには傷病兵姿の父の写真が載っている。そんな父がエッセイの中に家族を偲ぶ思い出として、下関へ向かう列車が芦屋駅周辺を通過した時、その当時芦屋に住んでいた我々家族を思いながら朝鮮へ行ったと記している。やはり辛かったのだろう。その一年前に兄と私を大東亜戦争展開催中の阪神パーク動物園へ連れて行ったことを懐かしそうに綴っている。私もその当時5歳だったから、連れて行ってもらったことだけははっきり憶えている。

 そんなピョンヤン(平壌)の現況を今父が生きていれば、どう思うだろうか。首都の中心部だけは立派なビルが建ち並び、馬鹿でかい二人の大物の銅像が建ち、広い人民広場には着飾った市民が歩いている。その裏で貧困に喘ぐ庶民がいる。アメリカ政府は2月に条件付きで北朝鮮に食糧支援を約束していたが、北朝鮮が約束を破ったため今日正式に断った。これで国民は益々貧しくなる。今後も当分の間この北朝鮮の強がりは続くだろう。まったくおかしな国である。

2012年4月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com