1827.2012年5月14日(月) 新聞連載小説について

 昨日465回で最終回を迎えた日経朝刊の連載小説「等伯」は、久しぶりに骨太な内容で面白かった。安部龍太郎の小説は初めて読んだ。前回の辻原登の「韃靼の馬」も面白かったが、「等伯」の方が予定外の挿話が多くてより面白かった。現在購読している日経、朝日朝夕刊の4つの連載小説のうち、3つしか読んでいないが、この「等伯」以外はあまり面白くない。

 等伯とは、戦国時代に狩野永徳率いる狩野派に対抗して長谷川派を立ち上げた長谷川等伯(本名信春)のことである。等伯は元々武士の血を引いていたので、その生活と仕事ぶりにはところどころ武闘派的思考と行動が見られる。故郷の越前七尾を出て上京し、屏風絵でいくつもの秀作を描きその技量を高く認められるが、主君浅井家に忠誠を誓い、敵討ち的行動によって信長に遠ざけられ、秀吉に疎んじられながらもひたすら自分らしさと自己主張を貫く。生死を賭けた一世一代の博打的パフォーマンスもあって、中々興味は尽きない。秀吉の嫡男秀頼の実の父親は秀吉ではないのではないかとの疑問も初めて知った。実は、秀吉には種がなく、だからと言って別の男が厳重な警備をかいくぐって淀君の閏房にまで忍び込める筈もなくというように興味津々な話題も提供したが、結論はうやむやのまま終わった。ここは多少フィクションであっても良いからもう少しはっきりさせて欲しかった。

 「等伯」を継いだ次回作品としては、今日から浅田次郎の「黒書院の六兵衛」が始まった。主人公加倉井隼人は幕末の官軍の江戸城入りの先遣隊を務めるようで、初っ端から結構面白そうな予感がする。これから毎朝楽しみに読みたい。

 それはともかくどうして昨今の新聞連載小説はつまらなくなったのだろうか。新聞社があらすじを事前に知らされても、最終的に内容まで突っ込んで吟味することができずにイメージと現実のストーリーが少しずつ乖離して、つい「こんな筈ではなかった」と後の祭りになってしまうことがあるのだろう。

 さて、来月初旬のヨルダン、イスラエル旅行に備えてユダヤ教とイスラム教の書物を手元に積んで読み進んでいる。ちょうど岩波新書のサルトル著「ユダヤ人」を読んでいるところだが、これは第二次世界大戦中に書かれたもので、サルトルはもちろんすでに世を去った。翻訳も物故されたフランス演劇史専攻の安堂信也氏によるもので、初版本は何と1956年に発行された。すでに71刷を重ねているから、多分隠れたベストセラーに違いなかろう。

 宗教について私自身予備知識があまりないので、理解するのに中々難渋するところがある。3年前共著「知の現場」(東洋経済新報社刊)の執筆に当たり、小中陽太郎氏を取材した時にサルトルの話を伺った。小中氏から発せられた「アンガージュマン」という言葉の意味がその時よく分からなかった。「アンガージュマン」とは、英語でいう‘engagement’と同じなので、「約束」とか「婚約」とかいう意味でフランス語では一般的には社会にコミットするということを表現している。サルトルによれば「社会主義革命に向かう立場の決定」ということのようである。小中氏も当初はその意味がよく分からなかったと言っておられた。この言葉を安堂氏はサルトルの哲学の根本思想と位置づけている。ようやく氷解したような気分である。

 まだまだ出発までに読んでおかなければならない本は、イザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」の再読を始めとして山ほどある。

2012年5月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com