1829.2012年5月16日(水) 沖縄の悲劇

 駒沢大学公開講座の清田義昭講師の講座が始まったので出席した。毎年楽しく聴講しているが、それは普段あまり観ることができない地方のテレビ局制作の問題作、話題作のビデオを見せてくれるからで、大いに参考になる。今日の講義では、終戦後60周年記念として2005年に制作、放映されたNHKドキュメンタリー番組「読谷村史・沖縄 よみがえる戦場」だった。読谷村では村の犠牲者の歴史と記録を残そうと職員が遺族や生存者から聞き取り調査を行って、悲惨な沖縄・読谷村戦史を出版物にまとめた。その経緯をNHKが映像化したものである。中には遺族同士が初めて会って慰めあう奇跡的なストーリーもあったが、日本兵によって島民が殺戮されるような戦争の残酷さも映し出していた。感想を訊ねられたので、遺骨収集の折の体験談とか、沖縄の貧しさ、死の淵に追い詰められた人々の気持ちなどについて私見をお話した。

 特に、今年は清田講師にベオグラードの友人・山崎洋さんがセルビアの抒情詩人ニェゴシュの「山の花環」日本語訳本の出版仲介のお願いをするために、一時帰国中の山崎さんを清田氏が社長を務める「出版ニュース」社で引き合わせてお願いした経緯がある。今日講義の後にその後の経緯について訊ねてみた。清田氏から出版に価する書で、岩波書店へ話を通したいと言っていただいたので、感触は良いのではないかと期待している。

 さて、唐突だが、先日脱原発を訴えてハンストを行った作家の瀬戸内寂聴さんが、「今の日本人」について今夕の日経紙上に「誰もが自分さえ良ければいいという世の中になった気がして仕方ない。隣近所には無関心、道で人が倒れていても知らんぷり。震災後のがれきの受け入れの問題にしても、ともに苦しみを分かち合う仏教の考え方からはありえない。素朴で優しくて、人の痛みを感じていた日本人はどこへ行ったのかしら」と嘆いておられる。その通りである。痛いところを言い当てられた。自らも戒めたい。

2012年5月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com