1867.2012年6月23日(土) 67年を迎えた沖縄「慰霊の日」

 今日6月23日は沖縄「慰霊の日」である。67年前の今日、悲惨な地上戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わった。戦闘員、非戦闘員を含め全島民の約1/4が亡くなったと言われている。正午から糸満市内の摩文仁の丘にある平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われ、野田首相、衆参両議院議長、仲井真知事らが出席して追悼の辞を述べていた。

 その追悼式の中継より、公園内にある「平和の礎(いしじ)」の戦没者の墓名碑の前で、花環を手向け語りかける幾組かの遺族の姿が印象的だった。そこには24万人の名前が刻まれているという。

 沖縄が日本に復帰してから今年でちょうど40年になる。奇しくも日中国交が回復してから同じ40年になる。

 沖縄問題の底辺に残るわだかまりのようなものは今も消えない。67年の長い間の沖縄県民の苦労は、どれだけ癒されただろうかと考えると、一時期本土復帰運動に関わった身としては忸怩たる思いである。

 今日の知事と首相のスピーチを聞いていても、言葉のすれ違いが目立つ。知事は「沖縄戦の痛ましい犠牲を教訓として肝に銘じ、平和を求めてきたが、県民の負担は続いている。日米両政府には普天間基地の一日も早い県外移設、日米地位協定の抜本的見直しを強く求める」と述べた。その一方で、野田首相は沖縄県民の気持ちを斟酌し、米軍基地の縮小を図りながら問題の普天間基地を辺野古へ移転して市民の負担を軽減したいと語り、従来通り話は平行線である。当分の間交わることはないような気がする。

 夢物語であるが、60年安保闘争に熱中していた学生時代、もしあの時安保条約改定を許さなかったら、今の沖縄の現状はもう少し良い方向へ変わっていたのではないかとも思う。いつまでも心に残る棘が消えることはない。

2012年6月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com