1869.2012年6月25日(月) ロベール・ギラン著「ゾルゲの時代」を読む。

 先日セルビアの友人・山崎洋さんが「三田評論」6月号に書いた、ベオグラードで慶應塾歌が演奏されたエピソードに関するエッセイのコピーを慶應関係の友人らにメール送信したところ、早速ゼミの仲間・池田博充くんから連絡があった。山崎さんのご両親(ゾルゲ事件のブランコ・ド・ブケリッチ氏と山崎淑子さん)について、フランスの「ル・モンド」紙の名物編集長だったロベール・ギランが著した「ゾルゲの時代」が実に興味深いという。戦前・戦中時フランスの「アヴァス」通信社・東京支局長で、その当時ブケリッチ氏の上司としてプライベートな面を含めて、ブケリッチ氏を身近によく知るギランが、主役として山崎さん家族のことに大きく頁を割いて、その仕事ぶり、人柄、関係者の交流まで詳しく書いているので、ぜひ読んでみてはどうかと親切に知らせてくれた。

 新刊書ではないので、街の書店で買い求めることは中々難しい。彼がアマゾンで入手できるというので、早速インターネットでアマゾンから古書2冊を購入した。1冊は同じゼミの赤松晋さんに差し上げたところだ。山崎さんのエッセイには私の紹介同様に、赤松さんの名前も紹介していることもあるし、先日山崎さんが一時帰国の際にはともに食事をとったからでもある。

 読書家・池田くんお薦めの「ゾルゲの時代」を一気に読んだ。筆者はブケリッチ氏とオフィスで机を並べながら、敏腕ジャーナリストらしい筆致で冷静に生々しいドキュメントを描いている。あの戦前・戦中の軍国化が進む日本の首都・東京で、外国人記者として厳しい注目と監視の下に、ブケリッチ氏の仕事ぶりと人柄を高く評価し、ブケリッチ夫妻には公私に亘り温かい友情を持って好意的に接している。

 また、日独防共協定、日ソ不可侵条約、スターリンとヒットラーの駆け引き、険悪化する日米関係の経緯、等々について今まで知らなかった事実を含め、興味深い内容が盛りだくさんだった。これまでどうしてこのようにゾルゲ事件を間接的に描いた佳作を知らなかったのだろうかと、もう少し早く読んでおけばと少々残念な気がした。それにしても池田くんはよくこんな名著を見つけて教えてくれたものだとありがたい気持ちである。

 母上・山崎淑子さんは毅然とした教養溢れる女性だったが、いつか電話でお話した時、ブケリッチ氏が亡くなられて遺体を引き取りに網走刑務所へ行った際、遺体は座棺に納められていたので、多分酷い待遇を受けたのだろうと涙が止まらなかったと悔しそうに率直に話されたことと、山崎さんが生まれる前に「洋」という名前は二つの大陸を結び世界へ向かうことを意味する「洋」と名づけようとブケリッチ氏と話し合われたと仰っていた。また、ユーゴ紛争の時なぞ、NATO軍の空爆に対して欧米を厳しく批難されていた。

 しかし、これほどの好著がさして洛陽の紙価を高めたように思えなかったのは、何か原因があったのだろうか。

戦時中のスパイ事件について世界的なジャーナリストが書き下ろした、話題のテーマを取り扱った好著として、1980年中央公論社から上梓された経緯を考えてみてもどうも分からない。

 ともかく、友人を想い久しぶりに読み応えのある、考えさせられる本を読んだという感想である。改めて父上の旧ユーゴ日刊紙「ポリティカ」記事を山崎洋さんが編纂した「ブランコ・ヴケリッチ 日本からの手紙」(2007年「未知谷」社発行)を再読してみようかと思っている。

2012年6月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com