1893.2012年7月19日(木) 鳥羽伏見の戦いの真相と内戦シリアの未来

 幕末最後の戦いとなった戊辰戦争のひとつ、鳥羽伏見の戦いの真相が、分からなくなった。巷間伝えられているのは、慶應4年(1868年)1月に幕府側と薩長ら倒幕連合の間で戦われている最中に、15代将軍徳川慶喜が、鳥羽伏見の戦場から黙って抜け出し、大阪へ出で、そのまま船に乗って江戸へ帰ってきたということになっている。幕府側にとっては敵前逃亡と受け取られ、極めて評判の良くない事件である。実際これまで自身もそう信じてきた。ところが、そうではないという新説が現われたのだ。

 現在日経朝刊に連載中の「墨書院の六兵衛」の中で、勝海舟が作者の浅田次郎氏に成り代わってそうではないといっている。大政奉還の立役者にして、幕府の知恵袋・勝海舟がそう言っているのだから説得力はある。一昨日の連載で、勝にこうまで言わせている。「鳥羽伏見の戦いは、実のところ上様の旗上げではないのだよ。糧道を絶たれた旗本御家人が、米をよこせと兵を挙げたのだ。それに気付かれたゆえ、上様は大阪城からさっさと江戸に戻られた。兵を戦場にうっちゃって逃げたなどと世間は悪くいうが、まさか一揆の御輿に担がれる大樹公でもあるまい。あの戦には武家の大義も面目もなかったのだ。まったく百姓一揆と同様、われらの食い扶持を保証せよという言挙げに過ぎなかった」とまあこんな調子である。真偽のほどは分からない。ただ、随分思い切ったことを勝海舟の口から言わせるものだと感心する。司馬遼太郎は何と決め付けていたはっきりしないが、今度浅田氏に会ったら浅田新説を直に聞いてみたいと思っている。

 さて、シリアの国内が内戦状態で、治安が緊迫の度を増していたが、昨日ついに国家の幹部が殺害されるテロが起きた。しかも、アサド政権の中枢である首都治安本部内の国防会議中に爆発が起き、国防相と副国防相が亡くなった。しかも副国防相はアサド大統領の義兄である。反体制派の刺客が、体制派の一部と内通し、本丸へ堂々と入り込んできたと言える。確かな犯人は分からない。

 しかし、反体制派の二つのグループが犯行声明を発表した。政府は直ちに後任国防相を任命し、徹底的に反乱軍を排除、鎮圧すると強気である。国際社会は何とか解決しようと仲介に入っているが、話は一向にまとまる様子がない。政府軍の反人権的行為を中止させるべく、国連安全保障理事会でシリア政府に対する制裁決議を検討しているが、いつもながら二つの常任理事国、ロシアと中国が決議案提案に対して反対し続けているため効果が打ち出せない。

 では、今度の爆破事件に対して両国はどういう対応を取るかと言えば、ロシアは依然として他国の介入は根本的な解決にはつながらないと同じ主張を繰り返している。では、ロシアと中国に効果的な手立てがあるのかと言えば、何の提案もアドバイスもしない。欧米諸国を批難するだけである。これは卑怯ではないか。

 敢えて言えば、シリア問題の解決を拒んでいるのは、むしろロシアと中国ではないだろうか。それにしてもシリアの状態が心配である。下重暁子・日本ペンクラブ副会長から、昨年シリアの世界遺産・パルミラ遺跡は素晴らしいのでぜひ訪問されるよう強く勧められたが、残念ながらこれは当分難しい。

2012年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com