いま取り掛かっている大学ゼミの恩師・飯田鼎先生の追悼文集発行に関して、大体寄稿文は同期の池田くんに無理を頼んで書いてもらい、一応出揃った。先生の奥様にも無理を言って書いていただき、40名から玉稿が寄せられた。これをひとりひとり見開きで偶数頁ごとに仕分けして、奇数頁は写真か、イラストでできるだけ見開きにして見やすいようにレイアウトして、漸く組版らしき形にまとめてみた。原稿分だけで90頁近くなったので、ある程度形はつけられると思う。
他の編集委員の声を聞く必要があるが、イメージとしてはこれにグラビアと目次、名簿を加えて、概ね了解を得られれば、印刷会社に相談してアドバイスをいただきながら残り少ない作業を進めて行きたいと考えている。それにしても、今回多くの原稿に目を通して、案外知らないことが多いことに気がついた。まずは山場を越えてやれやれである。
さて、明後日ロンドン・オリンピックが開幕する。年々オリンピックへの過剰期待からか、前奏曲がうるさくなった。メディアの影響もあると思うが、もう少し静かに観戦するというわけにはいかないものだろうか。
昭和27年、中学2年生の時ヘルシンキ・オリンピックが開かれた。戦後日本が初めて参加した大会である。夜中にふとんの中で横になりながらラジオで開会式を聞いた。一般的にあの時はラジオ放送だったし、時差があったので関心はあっても同時中継的に楽しむということはまだできなかった。でも、古い話だが、今でも強く印象に残っている選手や、でき事は多い。最近のオリンピック以上に思い出すことが多いことは、娯楽が少なかったこともあるが、それだけ強烈な印象を与える事例が多かったということだろう。
その中でも、開会式の最中にスタンドからグランドへ1人の観客が飛び降りたのにはびっくりした。その開会式で最終聖火ランナーはヌルミ選手だった。そのヌルミ選手の銅像は、オリンピック・スタジアムの入り口に飾ってあり、初めてフィンランドへ行った時像と対面して、これがヌルミ選手かと思った。その他には水泳の古橋選手がすでに峠を過ぎていて振るわなかったことが気の毒で、4年前のロンドン大会に日本が出場していれば、古橋選手は確実に金メダルを獲得していただろう。結局金メダルを獲得したのは、レスリング・フリースタイル・バンタム級の石井庄八選手だけだった。
思えば、戦後まだ立ち直っていない不自由な時代だったが、何かほのぼのとしたものを感じる佳き時代だった。ロンドン・オリンピックも勝負だけに拘らず、何か人々の心に温かいものを残すような大会になって欲しいものである。