1902.2012年7月28日(土) ロンドン・オリンピック開幕

 待ちに待ったというべきか、また騒がしいお祭りが始まったと言うべきか、今日明け方からロンドンでオリンピック開会式が行われ、いよいよ3度目のロンドン・オリンピックが正式に開幕した。セレモニーは毎回回を重ねるごとに仕掛けが派手にエスカレートしている。今日の開会式は格別素晴らしいとも思えなかったが、元ビートルズのポール・マッカートニーが「ヘイ・ジュード」を歌い、会場が合唱した時は盛り上がったようだった。この「ヘイ・ジュード」を聞くと、この曲が発売された1968年の「プラハの春」を思い出す。会社への辞表提出、カレル大学留学断念等々に翻弄され煩悶し、悩みの多い1年だった。この辺りの悩みに関してゼミの恩師に相談した経緯について、今秋発行予定の恩師の追悼文集に書いたところである。

 日本が1912年に初めて金栗四三さんらマラソン選手がストックホルム大会に参加してから、今年はちょうど100年になる。これだけ華やかなスポーツイベントではあるが、若いころに比べてやや興味は薄れてきたが、それでも日本選手の活躍ぶりは気にかかる。早速朝から一日中各テレビ局はオリンピック関連番組花盛りである。

 日経夕刊に目を通していたら水泳の橋爪四郎さんの回顧談が載っていた。メダル獲得の実力がありながら1948年のロンドン大会に参加できず、ただ「悔しかった」と語っておられる。下り坂ながらまだ余力のあった橋爪さんは、次のヘルシンキ大会1500m自由形で日系アメリカ人のフォード・コンノ選手に次いで、2位となってメダルを獲得したが、いつも絶対勝てなかった古橋広之進選手は、すでに往年の力が衰えていた。古橋選手は400m自由形に出場したが、決勝レースで最下位の8位となり、プールから肩を落として引き上げる姿は、その当時の中学生の目から見ても悲壮感が漂っていた。このレースを制したのは、フランスのボワトー選手で優勝の瞬間、喜んだ父親がコートを着たままプールへ飛び込み、ゴールドメダリストとなった息子とプール内で抱き合っていた光景が昨日のことのように目に浮かんでくる。

 そう言えば、日本人選手が振るわなかったヘルシンキ大会で、1500mのメダリストは、全員日系人だったことも異色だった。金メダルは日系アメリカ人コンノ、銀は橋爪、銅は日系ブラジル人のオカモト選手だった。

 こんなオリンピックに思い込みの強い昔の選手たちの思いを考えると、現代選手は明らかにドライである。絶対金メダルを獲ると宣言したり、出場したら楽しんで来るなんて発言を、時代の流れとは言え、泉下の古橋さんが聞いたら果たしてどう思うだろうか。

2012年7月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com