政府が将来の原子力政策、とりわけ脱原発か、原発推進か、について一向に指針を出せないでいるが、今国民の声を聞く意見聴取会が全国各地で行われている。昨日は広島と那覇で開かれた。
大雑把に言えば、2030年までにわが国の原発比率を、経済発展に大きくブレーキをかけない程度でどの程度原発を容認すべきかという国民の受け入れ容認度を話し合っている。それは、①全原発廃炉=0%、②15%、③20~25%、の3つの選択肢に分けられている。①0%以外は、積極的、消極的を問わず、2030年までは原発再稼動を認めようということである。原爆の被災地である広島で絶対受け入れないと回答した人は約7割であるのに対して、那覇ではそもそも来場した人が少なかったとはいえ、全員が0%を選択した。これまで8会場における割合は、①70%、②11%、③17%という数値を示した。この数値をどう見るか。
すでにこういう調査を行うことに消極的で、一日も早い原発再稼動を望んでいる経済団体などでは、このほど経団連が意見書をまとめた。
経団連が作成した「2030年における経済への影響」によれば、10年実質国内総生産(GDP)実績が、①の場合▲8~45兆円、②の場合▲2~30兆円、③の場合▲2~28兆円、落ち込むと予想している。このほかにも家庭の可処分所得が、それぞれ、57万円、38万円、34万円減ると予想している。失業者数も10年度実績・297万人が、①486万人、②419万人、③405~412万人にまで増えると想定している。
はっきり言って経団連は原発を止められては困ると圧力をかけているに過ぎない。原発割合を0%とする案では反って国民負担を強いると批判しているのだ。先に反対ありきである。代替エネルギーの開発に関しても、あまり前向きな意見が出てこない。米倉弘昌・経団連会長が「過度の楽観的な前提を置いている。実現しないとどうなるのか空恐ろしい。誰が責任をとるのか」と傲慢な発言をしているが、本音は産業発展には電気が必要なのだ、それが原発であろうと他のエネルギー発電であろうと問わない。もしそれが得られなければ、生活はレベルダウンするが、それでも良いですねと言っている。経済人は原発の危険性をまったく考慮していない。未だに福島第一原発の事故原因が突き止められていない中で、しかも、原発使用済み燃料を排出する問題がまったく解決されていない中で、電力需要のためには危険は二の次と言っている利己主義しか伝わって来ない。この経済性一辺倒の経済界に、民主党政権が乗っかっているのだから、何をか言わんやである。
哲学のない政治家に、将来のエネルギー政策を語る資格があるのだろうか。