昨晩NHKのETV特集で「吉田隆子を知っていますか」という番組が放映され、観るともなしに最後まで観てしまったが、中々興味深いストーリーだった。。日本人としては極めて珍しい女性作曲家を紹介したドキュメンタリーである。良く知られた与謝野晶子の反戦詩「君死に給うことなかれ」に曲をつけた反戦の人であり、4度の投獄にも耐えた不屈の人だった。これまでこの女性作曲家については寡聞にして知らなかった。軍人で陸軍大学校校長だった父親の厳しいしつけの下で育てられたが、東京高等女子師範学校(現御茶ノ水女子大)出の母親の影響を受けて、終生音楽と愛に生きた。だが、あまりその名は一般には広く知られていない。
それが意外にも身近に思いがけない接点らしきものがあった。代々木の元勤務地の近くに人形劇「プーク劇場」というのがある。今でも子どもたちに人気があり、夏休みなどになると連日子どもが並んでいる姿を良く見たものである。長い間彼女はその人形劇に曲を付けていたそうである。
もうひとつ親しい感情を持ったのは、戦後亡くなるまで自由が丘に住んでいたことである。画面では自由が丘のどの辺りに住んでいたのかよく分からなかったが、亡くなるまで住んでいた家屋が紹介され、今も室内はそのままだという。そして、近くに劇団民芸の俳優・宇野重吉の住まいがあったと紹介された。宇野邸はわが家から歩いてほんの5分程度の距離にある。吉田と終生のパートナーであり、築地小劇場で上演してヒットした「火山灰地」を書いた劇作家の久保某とのツーショット写真は、その宇野邸の前で撮ったことが背後の表札によって分かった。
何となく親しみを感じる作曲家・吉田隆子は時代的に逆風の中で精一杯生き、戦後これからという時に可惜46歳の若さで逝った。こういう地味でしっかりと庶民の心を掴み権力に屈しないで、作曲に挑んだたくましい女性があの暗い時代のわが国にもいたのだ。良いドキュメンタリー番組だった。
さて、昨日本ブログで原発から廃出される使用済み核燃料の最終処分場の土地探しについて書いたばかりだが、今日不意に横光環境省副大臣が福田群馬県知事と遠藤矢板市長を訪ね、福島原発によって汚染された指定廃棄物の最終処分場の候補地を矢板市内の国有林に決めたので了解してほしいと伝え、突然の申し出に地元では面食らい反発を買っている。どの自治体でもこのような事案はあまり積極的に受け入れる気にはなれない。従って充分議論し、意見を聞く根回しをして自治体にお願いするのが筋であろう。誰もが嫌がる事案を唐突に言い出されたら、素直に受け入れる筈がない。手順が少々おかしいのではないだろうか。政治家というのは、どうしてこうも稚拙なのかと思ってしまう。