1943.2012年9月7日(金) エルサレムは条件付で世界文化遺産に登録されていた。

 NPO法人JAPAN NOW観光情報協会の定期機関紙に抱えている2つのコラムのうち、今月は「世界遺産物語」第20回としてベツレヘムにある「聖誕教会」について寄稿した。また、月曜日に千葉市内の「いきいき大学」で「世界遺産の楽しみ方」というテーマの講演を引き受けており、その資料・パワーポイントのスライドも作成した。

 前者はもとより、後者についても世界遺産の特殊なケースとして聖誕教会に触れ、教会があるパレスチナ自治区のベツレヘムとエルサレムについて話すつもりでいたところ、ちょっとした誤解があるのに気がついた。

 6月にイスラエルを訪れた時、ガイドのスタイン・朋子さんがエルサレムはヨルダンとイスラエルの領土問題がからみ、現時点ではヨルダンから世界遺産の申請が提出されているが、登録されていないと聞いた。それが旅行から帰った1ヶ月内に国家としては国連で未承認のパレスチナが申請した聖誕教会がパレスチナ初の世界遺産として登録されることになった。国の帰属が明確でないパレスチナ自治区内の世界遺産が国連の内部機関であるユネスコによって、国家未承認のまま正式に登録されたのである。これで話がややこしくなる。もちろんイスラエルはこの登録を政治的なものとして批判している。

 都市エルサレムについては、世界史上に知られた世界遺産に匹敵する遺跡が山ほどあるにも拘わらず、世界遺産として認められていないという。この事実をガイドさんから聞いて、残念なことだと思っていた。ところが、偶々エルサレムについて調べていたところ、エルサレムがヨルダン領になっていて、ヨルダンの申請によりすでに1981年に世界文化遺産として登録されている事実を知った。

 すでに聖誕教会の文章中にエルサレムが世界文化遺産でないと書き送稿してしまったので、ユネスコのHPで確認し、直ちにエルサレムの朋子さんにメール送信したところスピード回答があり、ヨルダンによる申請をユネスコは受け入れ、ヨルダンは申請したうえで、登録の権利を確保したと理解しているという複雑な考え方を知らせて来られた。

 ともかく、間違った情報を伝えることは拙いので、「世界遺産物語」の原稿は修正して改めて送り、講義内容はスライドも含めて正しい条件付登録としてお話しようと考えている。

 こんなところでパレスチナ問題のとばっちりを受けるとは意外だったが、事前に原稿をチェックすることができてほっとした。エルサレムを加えることによって、私の世界遺産訪問箇所は164箇所ではなく、165箇所ということになった。早速ホームページ上の「訪問世界遺産」も訂正しておく必要がある。

 今夕は日本ペンクラブ例会である。7月は追悼文集編集会議で出席できなかったので、久しぶりに小中陽太郎さんと話をしようと思っていたところ、先手を打たれて「近藤さん、明日から韓国へ出かけるので今日はお先に失礼します」と言われてしまった。韓国でペン大会が開かれ、それに出席するという話だった。

 ところが、今日は案外愉快なことがあった。山本澄子さんの全日空勤務の子息がゲストとして来られ、塾員同士としていろいろ話し合った。ほかにも今日ペン会員になったスリ・ランカのお坊さん・タランガッレ・ソーマシリさんと世界遺産やビルマの話をした。20年以上も日本に住んでいて日本語も達者な方である。もう一人は偶々会場へ来られて挨拶された文化庁長官・近藤誠一氏である。近藤氏が湘南高の後輩であることは承知していたので、その点を話すと驚いておられた。氏も私と同様に「湘南大樹」の一葉である。

 おまけにもうひとつ。下重暁子副会長と西木正明常務理事に試しにトライして下さいと死海の塩を手渡したら、下重さんはあまりお好みではなかったが、西木さんは結構お気に召したようだった。上智大学名誉教授のディーケン先生は死海には何度も行って味わったと言っておられた。

 今日の例会は最近毎週金曜日に行われる国会周辺の原発反対デモへ参加した会員が増えたせいだろうか、いつもより参加者が少なかったような気がする。

2012年9月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com