1947.2012年9月11日(火) 東日本大震災から1年半、9.11同時多発テロから11年

 1年半前の今日、あの忌まわしい東日本大震災が起きた。そして、11年前の今日、ニューヨークで恐ろしい9.11同時多発テロが発生した。

 今日も東北各地では、亡くなった人を偲ぶ慰霊の儀式があった。1年半の時間が経過したが、復興は遅々として進まず、避難した人の数はなお34万人以上を数える。行方不明者が2800余人もいる。まだまだ道は遠い。

 そして今日日本学術会議は原発から出る高レベル放射性廃棄物の総量を規制し、数十~数百年間暫定的に保管するべきだとの提言を内閣府原子力委員会に提出した。つまり、放射性廃棄物を最終処分するのではなく、暫定的に保管すべしとの提言である。最終処理を地中に廃棄する現在の政策を白紙に戻すよう提言したのだ。最終処分場ではなく、中間処分場としてその後に別の場所で処分するということのようだ。その先はどうするのか皆目分からないので、これでは使用済み核燃料処分の懸案の解決策とは言えまい。結局専門家がどう頭を捻っても核のゴミを処分する方法が現時点では見つからないのである。これでもなお核を利用し、原発施設を作ろうというのだろうか。この提言に対して原子力委員会は果たしてどんな結論を出すのだろうか。

 一昨夕TBS・BSで2時間番組「日本人キーンドナルド 90歳を生きる」と題するドキュメンタリーが放映された。キーンさんは今年3月日本国籍を獲得して漸く念願だった日本人となった。改めて知らされ映し出されていた。現在の家族関係についてはあまり紹介されていないが、90歳を目前に敢えてアメリカ国籍をたキーンさんのエピソードに、キーンさんの温厚な人柄と日本人との広い交友関係が捨ててまで日本人になったのには、ただ日本文学に傾倒し、日本文化に敬意を払っているからばかりではないのではないかと不遜なことを考えてしまう。好奇心が強く、誰とでも気さくに話す優しさと包容力が彼の魅力になっていると思う。

 現在新潮社が「ドナルド・キーン著作集」全15巻を刊行しているが、新潮社担当部長はキーンさんの翻訳によって日本文学が海外に広く紹介されるようになり、その結果川端康成や大江健三郎がノーベル文学賞を受賞するようになった功績は大きいし、新潮社自体もその恩恵に浴してきたので、せめてその恩返しと考え著作集刊行のお手伝いをしていると述べていた。

 キーンさんは機知とウィットに富んでいて、旅行とオペラが好きで、特にオペラに関しては評論を書くほどプロフェッショナルで、アフリカ旅行中に乗ったタクシーのドライバーがかけたオペラのCDに手拍子で無邪気に喜ぶ姿が映されていて微笑ましい。

 意外だったのは、石川啄木が1912年に書いたローマ字日記1週間分を高く評価し、それについて書いた評論が正岡子規、森鴎外、夏目漱石について書いた評論よりよほど評判を呼んだと語っていた。

 また、戦争中勤務していたハワイの日本人捕虜収容所に収容されていた元軍医・恩地豊さんと仰る受勲者との交流が二人の心の通い合いを印象深く伝えていた。現在施設にいる100歳の恩地さんを90歳のキーンさんが見舞いに訪れ、お互いをアプリシエイトする二人が話し合うシーンは、年を経てもかくありたいと思わせる理想の雰囲気を伝えていた。

 キーンさんが日本人となる決断は、昨年の東日本大震災で心身ともにボロボロになった被災者を想い、気持ちを通わせたいとの思いから下されたものであるが、インタビューの中で、ある女性が「ボロボロの日本を見捨てず、反って母国を捨ててまで日本人の力になろうとしてくれるキーンさんにありがとうと言いたい」と語った一言にキーンさんの温かい人間性があるような気がした。これまでの活動と現時点で「90歳になった今、生涯で一番幸せなのは現在です」と話すキーンさんは、日本文学を超えて人間としての崇高さを感じさせてくれる。

 中々見ごたえのある番組だった。

2012年9月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com