丁度半月前の今月14日政府は2030年代に原発ゼロの方針を打ち出した。その直後から米英仏の消極的反対論や、経済成長にブレーキをかけるとの経済団体の反発、そして原発立地自治体からの脱原発に反対の声が寄せられ、政府の方針は揺さぶられぐらりとしている。政府の本音は脱原発なのか、再稼動容認なのか、分かりにくいところだが、脱原発を目指しながらも安全確認がなされれば稼動もあり得ると曖昧なことを発言し出したり、原発新規建設はしないが、建設途中の原発施設についてはそのまま建設中止を意味するものではないと言ったり、毅然としてYes or Noをはっきりさせないところが原発政策に党としての理念と信念がない中途半端なところだ。
そして‘Go or Stop’の重要な結論を出すべき決定機関を政府自身ではなく、最近発足したばかりの原子力規制委員会に押し付け、責任を逃れようとする無責任極まりない決断をした。
昨日枝野幸男・経産相は「安全性に原子力規制委員会がゴーサインを出して、地元の理解が得られれば重要な電源として活用する」と表明した。これまでの原子力発電推進という重要な国のテーゼの是非を独立機関とは言え、国家の下級組織のひとつに決断を委ねるという図式は、国の行政府としてはあまりにも無責任ではないだろうか。これでは、こと原子力に関しては、政府はまったく関与しないと言っているに等しい。
そんな折も折、電源開発は青森県大間町で、東日本大震災により中断していた大間原発の建設工事を再開することを決定した。財政の厳しい市町村では、補助金欲しさに不安視されても危険を承知のうえで原発誘致に執着しているところが多い。原発工事がすでに4割方進んだ大間町では、補助金の甘い蜜に味を占めて、最早その魅惑から抜け出せなくなっている。津軽海峡を隔てた対岸の北海道・函館市では危険が及ぶ一方で、何らの甘い蜜もなく当然のことながら市長自ら強い反対と怒りの声を上げ出した。
それにしても本家の民主党内に、党としてどうすべきかの意見がまったく聞かれないのはどういうわけだろうか。我々国民は政府見解により、2030年代には原発稼動を中止すると理解している。それは、取りも直さず調査会意見、アンケートで国民の圧倒的多数が原発反対の気持ちを表し、また、原発稼動を続ければ、排出される使用済み核燃料の処分方法がないまま将来に亘って国内に核のゴミが溜まってしまうことを懸念し、政府がそれを受け入れたと理解しているからである。それがその直後から自らの方針を曖昧にし、最高権威の決断を丸投げするとは、政治を与る者として無責任であり、呆れ果てるばかりである。政府は国民を愚弄するのも好い加減にして欲しい。
それにしてもこの民主党の曖昧な原発政策と原発丸投げ問題について、昨今鳴りを潜めている社民党や共産党はどう考えているのか。国民の立場に立って少しは自己主張をしたらどうか。