イランや、ウクライナ、またパレスチナ自治区のガザなど、戦火は止みそうでいて一向に停戦の気配はない。世界がこれら地区に目を向けている間に、ミヤンマーやスーダンでも内戦が行われている。ミヤンマー国軍がアウンサンスーチー国家顧問の民主化政権をクーデターによって倒し全権を掌握してから、早や5年が過ぎた。市街で銃が火を噴いて目立つようなことは少なくなったが、当時国民から信頼され慕われていたアウンサンスーチー氏の所在すら分からず、国民への弾圧は一通りではない。クーデター以来8千人近い人々が殺害されたという。ミンアウンフライン国軍総司令官が、今年4月に軍の影響下の総選挙で一応大統領という地位に就いた。この状況に国際社会も非難はすれども手を出せない有様である。
一方、アフリカのスーダンは、内戦状態になって4年目に入った。世界の注目がウクライナやイランに集中する一方で、国軍と準軍事組織「即応支援部隊」(RSF)によるスーダン内戦は忘れられた紛争と呼ばれている。双方に対して周辺国が支援していて外部からは複雑な実態はよく分からない。1973年8月にスーダンの首都ハルツームを訪れた時は、戦争のイメージはまるで感じられなかった。真夜中に車道が左から右側通行に変わって、車同士の衝突があり、地元民が野次馬気分で楽しんでいたのんびりさがあった。それが、今ではスーダンに隠れた財宝に目を奪われた国々に狙われたことが争いの根源にあると思う。
さて、当然のことであるが、人は成人期を過ぎ年齢を重ねるにつれて、身長は徐々に縮んで小さくなるものである。まだ活動している時は、気にもしなかったが、近年病院などで身長を測る度に短縮化していることを意識するようになった。私の場合は、高齢化に歩調を合わせるように身長とともに体重まで軽くなっている。
こんなことを意識するようになったのは、過日久しぶりに礼服を着用する機会があり、着てみたが、特にズボンのサイズが長過ぎて靴を覆ってしまうほどだぶついているのに気付いたからである。試しにいくつかの礼服や洋服をチェックしてみたら、やはりズボンが長過ぎる。これではどこへ出かけるにせよ、ダブついた洋服を着ざるを得ない。このままではみっともないし、着ないわけにはいかず、今日仕立て屋にズボンだけ7着ばかり持参して調整をお願いした。実際にズボンを穿いて計測してもらい、3㎝から6㎝ほどズボンを短くしてもらうようお願いした。
身長は、高校でラグビーを、大学で登山をやっていた当時、今から70年近く以前に比べると約11㎝も短くなった。身長に比べて体重も昔に比べると少々減ったが、それも約4㎏程度で服装に影響することはない。
昔の武士は、羽織袴を着ていたので、身長の変化によって衣類に手をつける必要はなかった。庶民でも和装、着物なら僅かな身長の変化によって衣類は調整する必要もなかったと思うが、その意味では欧米風の近代社会の服装になって手間がかかるようになったとも言える。
時折日本が今武家社会だったら、我々の生活はどうなっただろうかと他愛もないことを考えることがある。こんなことを考えるのも天下泰平で、暇なせいだろうか。