昨日行われた高市首相とトランプ大統領による日米首脳会談で、一応表面的には対立点もなく平穏に収まったかのように見えるが、国際社会においてはアメリカの横暴ぶりと首相のトランプ大統領への媚びへつらいぶりが、皮肉っぽく受け取られている。日本国内でもトランプ大統領への追従で短期的にはうまく立ち振舞っているように見えても、中長期的には日本の国益にかなうのかは疑問だと考えられている。
そして、高市首相がここまで言うかと思えるようなトランプ大統領へのお世辞「世界に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」には、ニューヨーク・タイムズ紙は、首相がトランプ氏に対して一貫して取って来た作戦である「愛嬌」を頼りにしたと論評した。AP通信は、平和の構築者とみなされたいトランプ氏の願望に訴えたと評した。フランスのル・モンド紙は首相がトランプ氏にお世辞の一種である「ごますり」を巧みに使い、アメリカの取り組みを支援する用意があると表明した。
いずれも首相の言動を露骨には批判しないが、皮肉を交えた論評である。トランプ氏の3男の誕生日に当たり祝意を表するなど、トランプ氏をヨイショする印象ばかりが強く印象に残った。これから国家の暴力が罷り通るような世相になり、世は平穏とは程遠い時代になるのではないか。高市首相の訪米はその予感を抱かせるものである。
さて、今話題となっている生成AIの利用について、17日の本ブログでちょっと取り上げたが、大学や研究機関などでは問題になりつつあるという。特に日本の大学に異常事態が起きていると伝えられている。大学4年生にとって最後の関門である卒業論文の質が劇的に向上し、未提出で留年というケースが減少した。論文構成や、文章力では非の打ちどころがないという卒論が沢山書かれているという。論文の文章が優秀なら大いに結構なことだと思う。ある大学の定年を控えた教授が、これほど高い水準の卒論ばかりを読んだのは初めてと驚いていたそうである。卒論の構成が良くなり文章力も向上し、そのレベルが上がったのなら喜ぶべきことである。
しかし、そこには大きな問題がある。彼らの優秀な卒論はほとんどAIに依存している。その結果として文章がほとんど似たような文章になる。明らかに学生が自分で考えて書いた文章ではないように思える。ある卒業生に良く書けたと教授が褒めたところ、彼は「チャッピー様々です」と応えたそうである。これは日本ばかりではなく、世界的な傾向だそうである。
この結果、就職戦線に問題を投げかけている。学生が企業に送るエントリー・シートを昨年辺りからその提出を求めない企業が増えてきたという。学生が提出するエントリー・シートがAIに書かせたことが明かだということが分かるくらい内容が似ているからである。これではエントリー・シートを提出させても意味がない。企業の立場も理解できる。AIが文章を書く人にとって役立つなら良いが、その人の文章力を向上させるものでなく、下手をすると能力を低下させる危惧もある。文章は、自分がペンを持って紙に直接書き留めることである。その過程で文章を構成する力を身に着ける。それらの地道な努力をせずして、優れた文章を他人(AI)に作ってもらうというのは、虫が良すぎるかも知れない。AIも思わぬところでAI自体が無駄だということを教えてくれたようなものである。