昨日までは比較的暖かかった陽気も今日は朝から小雨模様で、薄寒さを感じたが、10時過ぎに大粒のみぞれが降って来た。テレビを観ていたら、渋谷区、杉並区、港区、世田谷区に大分雪が降っていた。それでも午後には一転して青空が顔を覘かせた。
さて、終戦を5か月後に控えた81年前の今日、アメリカの陸軍航空隊・B29爆撃機300機編隊による東京大空襲があった。大量の焼夷弾投下により多くの犠牲者を生み、死者は約10万5千人に上った。罹災者は百万人を超えたと言われている。当時藤沢市鵠沼に住んでいた我が家で、祖父や両親が夜半に東京方面が明るくなったと言っていた。祖父らが言っていた明るくなった夜空は大空襲の影響だったのではないかと想像している。そして間もなく藤沢から千葉県勝山町へ引っ越して、同地で勝山町国民学校(現小学校)へ入学した。間もなく終戦となった。終戦直後の食料、物資の乏しかった時代に懐かしい想い出や、想い出すだけでも嫌なメモリーがある。それでも今にして思えば、無邪気な子ども時代を大きなトラブルもなく過ごせていたのかも知れない。
実は、昨晩NHKでドキュメンタリー「『映像の世紀』悪魔と呼ばれた将軍ルメイ~」が放映され、東京大空襲を指揮したカーティス・ルメイ爆撃集団司令官のストーリーを紹介していた。ルメイは気の強い根っからの好戦的軍用機乗りだった。東京大空襲で多くの女や子どもを殺したことを知っていたが、やらなければならないし、道徳性について憂慮する必要はないと血も涙もない発言をしている。「当時日本人を殺すことについて大して悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった」とも述べていた。彼は、京都は爆撃する必要がなく、むしろ軍隊と軍需工場がある広島市への爆弾投下に賛成した。後年になって。原爆投下は日本の降伏を早めたので、多くのアメリカ兵の命を救ったと政府の決定を支持しているような冷血鬼である。
このドキュメンタリーを観ていて、意外にもアメリカが陸海軍から空軍を独立組織としたのは、かなり遅く終戦後2年を経た1947年だったことに、旧日本軍と同じだなあと思ったものである。旧日本軍も独立した空軍という組織はなかった。陸軍航空隊と海軍航空隊のどちらかだった。戦闘機部隊としてよく知られている「隼」戦闘隊は、陸軍に所属した「陸軍航空飛行第64戦隊」だったし、「神風」戦闘隊は海軍航空隊に所属していた。
このルメイ司令官は、力で徹底的に叩くような強行手段で爆撃隊を指揮していた。1962年の核戦争一歩手前で回避されたキューバ危機の際も、当時回避の決定を下したケネディ大統領に食い下がり、あくまで核施設を搬送したロシア船を攻撃すべきだとアドバイスしたそうである。その点から考えれば、東京大空襲も反撃があったら下手をすると、一層手荒な攻撃を仕掛けてもっと多数の犠牲者を生んだかも知れなかった。
ルメイ司令官は東京大空襲で指揮を取ったが、同時に広島へ原爆投下を行った部隊の指揮官でもあった。にも拘らず、第1次佐藤栄作内閣は、彼が日本の航空自衛隊育成に貢献したとの理由で、畏れ多くも勲一等旭日大綬章を贈った。勲一等授与は、天皇が直接本人に手渡すものだが、こればかりは行われなかった。その大綬章授与については、当時国内でも相当強い反対の声があったが、佐藤首相お得意の説得術で押し切った。
東京大空襲には、こんな裏話もあったとは初めて知ることになった。