31年前の今日、阪神・淡路大震災が勃発した。都市を直撃した初めての大地震で、犠牲者は実に、死者6,400余名、負傷者は43,700余名に上がった。
あの日まだ出勤前でまだ寝床に居た時、階下から次男が慌ただしく電話受話器を持って来て、「お父さん! 英語で電話がかかって来たヨ」と私に手渡した。耳に当て聴いてみると、何とブルジルの友人アリンド・フルタードさんが「今ニュースで日本に大きな地震が発生して大分犠牲者が出たようだと伝えていたが、Mr.Kondohの親戚や友人は大丈夫か?」と知り合いに犠牲者がいないかどうかを心配してわざわざ地球の裏側から電話をしてくれたのである。当時震源地神戸には、親戚も友人もいなかったので、その心配はないと伝えたところ、ホッとしたのか直ぐ電話を切った。
そのアリンドさんとは、その何年か前にエジプト・ピラミッド近くでひとり光と音楽のディナー・ショー(Sound & Light Dinner Show)を楽しんでいた時、偶々彼が隣の席に座っていたので、つい気易くいろいろな話題に話が移り楽しいひとときを過ごした。別れ際にまたどこかで会いましょうと約束して別れた。その後アリンドさんとは文通を続けていたが、ある時唐突に訪日されたので、車で箱根を案内し、その帰りに我が家を訪れてもらって家族と夕食をともにした。日光へも「はとバス」で行ったり、帰られてからもX‘mas Cardの交換をはじめ、手紙のやりとりはずっと続けていた。私もその後ブラジルへ2度ばかり訪れ、彼にリオのサンバホールや、市内を案内してもらったり、彼の自宅へお邪魔したこともある。懐かしく忘れられない想い出である。その交友関係については、拙著「八十冒険爺の言いたい放題」に取り上げて書いた。
その後何年かして、手紙のやり取りが無くなってしまった。かつてリオに駐在した経験のある高校時代の友人が、偶々ブラジルへ旅行するというので、時間があったら彼にアリンドさんの自宅を訪ねて様子を探ってもらったところ、自宅で横になったまま、玄関には出られないとのことで、私のメッセージだけを伝えてもらった。その後まったく連絡が付かず、独身だった彼の周囲からも連絡がなく、年齢的にも悲しいことだが極楽浄土へ旅立ってしまったのだと諦めるより仕方がなかった。その後連絡を取ってくれた高校の友人も亡くなった。
私にとっては、異国の良き友人だった。初めて会ったのが、ピラミッドの傍だったドラマチックな出会いから、2万㎞も離れた外国で生活しながら、お互いの自宅を訪れて交友を深めていた。私にとっては長年に亘る彼との交流は忘れることが出来ない人生の懐かしき宝物である。毎年阪神大震災発生記念日がやって来る度に、犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、アリンドさんのご冥福もお祈りしている。
今日は大震災の発生記念日であるが、何か偶然だろうが、今日夕方5時半ごろ鹿児島県周辺でM4、震度3の地震が発生した。それほど大きな地震ではなかったが、地震大国にいると油断も隙もないものだとつくづく感じている。