6783.2025年12月8日(月) 84年前真珠湾攻撃、太平洋戦争突入へ

 ビートルズのジョン・レノンが銃で殺害されたのが、45年前の今日、12月8日である。真夜中に近い時間だったので、日本では9日になる。私はちょうどその時フランスの港町マルセイユにいて号外でその訃報を知ったのだが、フランスでは8日の夕方だった。太平洋戦争が真珠湾攻撃により始まったのも8日であるため、ジョン・レノンの死と太平洋戦争開戦日がどうしてもダブってくる。

 私の最も好きなビートルズの曲は、♪IMAGINE♪と♪YESTERDAY♪であるが、歌えるわけではなく、聴いているだけで充分である。残念だが、半世紀近くに亘ってもうレノンの新曲は聞くことが出来ない。あのマルセイユの駅前で号外をもらった時の騒々しかった光景を、時に懐かしく想い出すことがある。

 太平洋戦争が始まってから、今年で84年になった。もう悲惨だった戦争も過去のことになりつつあるようで、政治家を始め保守的な人々の間では、防衛費の増額、敵基地攻撃能力、そしてアメリカの防衛計画への追従など、戦争を残酷悲惨なものであるとの認識が薄れつつあるようだ。それは何と言っても戦争を知らない世代が増えてきたことによるものである。

 今から80年前の終戦の年に小学校(当時国民学校)に入学したが、幼かった割には戦争が身近に生々しい記憶として残っている。入学して最初の夏休み中に終戦となったが、その間に住んでいた房州の町に焼夷弾が落とされ、夜な夜な鋸山山頂の探照灯が夜空を照らし、サイレンが鳴ると同時に、近くの防空壕に逃げ込んだものである。サラリーマンになってからも旧日本軍部隊の戦没者慰霊団を旧戦地へ案内したり、旧厚生省の戦没者遺骨収集団を20年以上も関わっていたことから、各戦地の旧戦跡を度々訪れ、一層臨場感によって戦争の怖さを知ることになった。戦時中鉄道駅の改札係には、モンペ姿のおばさんが立ち、物資も配給制になり、戦争に取り囲まれた中で身を潜めるように生活していたものである。

 あれから想えば、私も早や後期高齢者になり、余生を生きている間に戦争は起きないことを願いながら、毎日を送っているようなものである。

 この記念すべき今日の新聞には、あまり穏やかな記事が掲載されない。朝日朝刊一面には、靖国神社内の遊就館に展示された、真珠湾で潜水艦「特殊潜航艇」に乗り戦死された9名の軍神に関する記事と、昨日中国軍機が沖縄公海上空で自衛隊機に対してレーダー照射を行った関連記事が掲載されている。戦争に前のめりの首相は早々に「冷静、かつ毅然と対応する」と述べ、中国駐日大使を外務省に呼び、強く抗議した。しかし、中国政府は、「日本側が悪意を持って追跡、監視して活動を妨害し、繰り返し航空機を中国が公表した訓練区域に突入させた」と非難し、「日本側の世論の誤った誘導に断固たる反対を表明する」と付け加えた。中国は、レーダー照射については一切コメントしていない。

 ハワイのパールハーバーでも日本軍の空襲により亡くなった2,400人の追悼式典が行われた。この追悼式には、山本五十六の出身地・新潟県長岡市長をはじめ、現地日本人の他に日本からも何人かが出席したようである。

 高市首相の台湾有事発言以来、日中間の対立は深まり、中国側には民間でもやや悪質な言動が現れだした。国家の上層部が相手国と対立すると、一般の国民にも嫌な印象が生まれ、戦争に発展するのではないかとの警戒心が生まれる。決してそうではないことを祈っているが、今どきの戦争好きの首脳が戦争の恐ろしさを知らないだけに、安閑としてはいられない気持ちになる。

2025年12月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com