今日は縁起の良い奇数「9」と「9」が重なる重陽に因んだ「重陽の節句」である。中国では、不老長寿や、無病息災を願う行事が行われる。
昨年11月敬愛していた「ベトナムに平和を!市民連合(通称:べ平連)」設立者のひとり、小中陽太郎さんが、多くの人に惜しまれながら旅立たれたが、その小中さんは重陽の節句に誕生された。しかも昭和9年9月9日の生まれで、重陽を上回る「9」が3つも重なるトリップル重陽である。小中さんとの長いお付き合いを考えると随分いろいろ教えていただき、ご自宅も近くだったので、遠慮なく交流を続けさせていただいた。懐かしい想い出は尽きることがない。
偶々2017年7月24日付朝日の小田実著「何でも見てやろう」を紹介した「時代の栞」を読む機会があって、随分感銘深いつながりを想い出した。記事には小中さんの言葉も添えられているのだ。小田さんの「何でも見てやろう」は、学生時代に読んで虜となり、それが海外武者修行へ出かける大きなきっかけにもなった。小田さんが同書の中に「ヨーロッパで最も感動したのは、アクロポリスの丘だった」と書いていた一文を取り上げエッセイを書いて、ギリシャ観光局長賞エッセイ部門に入賞する幸運に浴した。また、近々発行のNPO紙に「アクロポリスのパルテノン神殿」について、小田さんの感想文を添えてエッセイを書いたばかりである。小中さんがNHKのディレクターを務めていた時に、小田さんの作品をテレビ化したことがあった。2007年に小田さんが亡くなり、青山斎場で行われた葬儀に参列した。べ平連関係者が葬儀場を去る前に青山1丁目まで行進するというので私も参加したところ、それが翌朝の朝日に私が映った写真とともに記事が掲載された。
偶然にも小中さんと小田さんは東大の同級生で、ベトナム戦争が激しくなった1965年べ平連を一緒に設立し、以降ともにベトナム反戦運動で活動された。
小田実さんとは、直接お話をする機会はなかったが、小中さんを通じて小田さんの噂や、情報を教えてもらった。小中さんとはちょうど10年前にベトナム戦争終結40周年のデモ行進をした際、ベトナム通信社から取材された小中さんのインタビュー記事が、その後ベトナム中に放映されたが、私もほんの僅かであるが、顔を出している。
ついては、このところ一世を風靡したような有名人の訃報が目立つ。メディア論などでユニークなペンを執っていた評論家の紀田順一郎氏が亡くなったことを新聞で知った。その評論をいつも成程と思って文章を読んだひとりである。紀田氏のような地味な人を別にして、♪潮来笠♪や、♪いつでも夢を♪などのヒット曲で知られた歌手の橋幸夫さん、さらにパラリンピックで15個もの金メダルを獲得した水泳の成田真由美さんも惜しまれながら旅立たれた。外国人では、一昨日イタリアの巨匠デザイナー、ジョルジオ・アルマーニ氏が91歳でこの世を去った。服装やデザインについてド素人の我々ですら、ご高名は良く存じ上げている。そして、今日女優の吉行和子さんが去る2日に肺炎で死去されたと伝えられた。兄は作家の吉行淳之介である。享年90歳だった。
小中さんが亡くなって10カ月が過ぎた。今でもしばしば故人を想い出す。改めて今日重陽の節句に生まれた小中さんのご冥福をお祈りしたい。