6660.2025年8月7日(木) 昨日の広島市平和記念式典について

 昨日広島市平和公園で開かれた原爆投下80年の平和記念式典が、少なからず反響を呼んでいるようだ。それは、原爆投下・終戦80年というひとつの節目の年ということもあると思うが、5万5千人もの人々が参加したという式典の意気ごみと盛り上がりがあったからだとも思う。私自身式典で話された主催者らの挨拶の内容には、これまでになく関心を抱かされた。

 中でも興味を惹かれたのは、今日のネットに見られるように石破首相の挨拶がこれまでの首相の挨拶に比べて大分好評であることである。それは、2020年の安倍首相、21年の菅首相、22年の岸田首相の挨拶が、秘書が作成した文を読んでいるだけのコピペであることもある。特に安倍首相の挨拶は、広島と長崎でほぼ同じ、しかも18年、19年のそれも内容的にはほとんど同じだったという。どうしてこうも不誠実な挨拶を行うのだろうか。平和記念式典の主旨・目的を充分理解していないせいと、聞く人があまり真剣に聞いていないと思い込んでいるせいではないだろうか。菅首相に至っては、挨拶の一部を読み飛ばしたが、後に問われた菅首相は、原稿がノリでくっついて剥がれなかったと言い訳にもならない馬鹿げた釈明をしていたそうである。岸田首相も安倍首相同様に、広島と長崎でほぼ同じ内容の挨拶で真剣さが足りないように思う。

 これらのスピーチは、自分が主体的に考えた内容でないので、あまり本心や願いも届かず、ある被爆者団体の関係者のように、毎年同じなのであまり聞いていないと言われるような始末である。専門家も大分厳しい指摘をしている。

 その点で、石破首相が珍しくも評価されたのは、他人のコピペではなく、自分自身が2年前に広島原爆記念館を訪れた時の印象を交え、自分の言葉で語っていたことが他の首相に比べて評価されたようである。その全文が公表されるやSNS上で内容を評価する声が大分上がったという。ただ、私は核兵器禁止条約とは距離を置いたまま、同条約締約国会議へのオブザーバー参加も見送り続けていることにコメントせず、問題を回避しようとしている点はどうしても物足りないし賛同出来ない。

 さらっと石破首相、松井一美・広島市長、湯崎英彦・広島県知事、グテーレス国連事務総長(中満泉事務次長代読)のスピーチを聴いていたが、特に湯崎知事のスピーチ内容に心を打たれた。核戦争になれば、「国破れて山河あり」が、「国守りて山河なし」になると強調していた。久しぶりに印象的な平和式典だった。

 ついては、昨日のブログの後半部分に書いた広島へ原爆投下したB-29「エノラ・ゲイ」が飛び立ったテニアン島の旧飛行場について、昨日その旧飛行場で2005年以来の式典がテニアン市主催で開かれたとの今朝の朝日朝刊1、2面の記事に些か驚くとともに、意外な感がしている。式典に出席した現役の米大佐は原爆投下の正当性について、「答える気にはなれない。太平洋戦争で亡くなった人々を追悼し、現在のパートナーシップを確認する行事だと考えたい」と話していたようだが、原爆投下を間違いとは思えないが、大きな声では言えないと答えていたように思えた。あまりにも現実感があり、本音を吐露することは出来なかったようだ。

 ほぼ半世紀前に、戦没者のご遺骨を乗せた上陸用舟艇に乗船してテニアン島から、サイパン島へ辿り着いた記憶が懐かしい。

2025年8月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com