昨晩のテレビ・ニュースを観ていて唖然とした。自民党富山県支部事務局長・永山文雄氏が比例代表制で当選したエピソードを語ったのである。永山氏は自民党福井県支部事務局長・助田重義氏ともども衆議院総選挙で北陸信越地区比例代表名簿の25名の末尾にその名を登録された。その内18名は小選挙区で当選し、比例代表制では4名が当選と決まった。優先順位に従って、まず小選挙区制で敗れた2名が掬われ、残り2名が単独比例代表制名簿順に当選となった。これにより21位にランクされていた永山氏が22位の助田氏とともに当選となった。
問題はその発言の中身である。戸惑いながらも永山氏は、タナボタ式に代議士の椅子が転がり込んだ故か、照れた顔をして、「晴天の霹靂」と驚いて見せ、便宜上載せた名簿のお蔭で思いがけず当選したと興奮して述べたのである。本人自身まさか当選するとは思っていなかったらしいが、神風が吹いてあれよあれよという間に国会議員になってしまったのである。
しかし、こう言っては酷かも知れないが、こういう好い加減な気持ちのまま、国のために貢献しようという志のないような人物を、国が国会議員として遇し税金で処遇しなければならないのは税金の無駄使いであり、ふざけていると思う。もとより国会議員になるほどの気持ちはなく、手続き上名前を登録したら幸運にも国会議員になってしまったという田舎芝居のシナリオである。それでなくても国会議員が多過ぎて、議員定数削減を検討している最中に、「入っちゃった」というのでは、些か不謹慎ではないだろうか。まったく開いた口が塞がらない。
選挙制度にも問題があるが、もうひとつ他の問題点として、国会内で石を投げれば当るほど多い世襲議員の存在は、立候補の場から憲法の理念である「平等」を端から否定するものである。前回選挙前には自民党ですら、世襲議員を制約しようと一旦は中止する構えを見せたが、その片棒を担いでいた代議士が、息子を後継に指名してさっさと辞めてしまった。こうした動きにメディアが何とも言わないことが摩訶不思議である。今や次期政権政党である自民党内では、党内の重要な職や肝心な部署はほとんどが世襲議員によって占められ、世襲議員批判はタブー視されているかの如くである。
今日の昼間のワイドショーで、世襲議員にも良い点もあり、特に、彼らは前々からよく勉強して、ぽっと出の新人よりしっかりしていると世襲議員を擁護するような発言をした著名な評論家がいたが、問題を履き違えているか、自分が世襲議員を取材する際に不都合を感じるから世襲擁護を言い出したりしているのではないか。世襲議員は、他候補とはスタート時点から差がついているので最初から有利であり、他の候補者に比べて平等ではないという点に問題があり、この真っ当な批判に対して世襲議員もメディアも反論できていない。
それにしても、どうしてメディアは自民党に弱いのか。自民党の弱点や不都合を追及しようとしないのか。
ところで、総選挙も終わり、新国会議員が議員会館に入居してくる。実は、まだ森喜朗・元首相と連絡が取れるのではないかと思い、今日議員会館森事務所へ電話したが、どなたも直通電話に出られなかった。衆議院議員を引退されたが、もう事務所を引き払ったようだ。止むを得ず石川県小松市の森事務所に電話したところ、新たに砂防会館4階に事務所を開き、小松事務所も今年一杯で閉鎖するとのことだった。昨年書いたエッセイをもう少し詳しく話を伺って内容を膨らませたいと考えているので、いずれ砂防会館でお話を伺いたいと思っている。森さんは落選ではなく勇退であるが、どうしても寂しい気がする。小松事務所の方もそう仰っていた。
今日NHK「ニュース・ウォッチ9」で、落選した民主党議員が議員会館内事務所を片付け、引き払う様子を映していた。本人も寂しそうだったが、その背に何となく悲哀を感じる。森さんは議員を辞めたが、2019年に日本で開催されるラグビー・ワールドカップを成功させるために、日本ラグビー・フットボール協会会長の職責には意欲満々のようでもあるので、今度は気楽にラグビーのお話でもお聞かせいただきながら、エッセイのネタもいただきたいと思っている。
さて、今日日米でそれぞれ訃報があった。一人は将棋の永世棋聖の米長邦雄氏であり、もう一人はアメリカ上院歳出委員長のダニエル・イノウエ氏である。イノウエ氏は第二次大戦中ヨーロッパ戦線の日系人部隊で戦い右腕を失った。戦後はハワイで政治活動に入り、日米の政治に関心のある人なら、知る人ぞ知る知日派政治家だ。近日観たいと思っている、高校後輩の映画監督すずきじゅんいち氏の作品「二つの祖国で」に、同じ日系人政治家ノーマン・ミネタ氏とともに出演している筈である。半世紀以上に亘り上院議員として活動しながら、日米間の緊密なパイプ役として大事な役割を務めていた。88歳で高齢とは言え、日米両国にとって実に惜しい人を喪ったものである。