昨日行われた韓国大統領選挙はいろいろな意味で日本にとっても参考になると思われる。争点は格差是正と財閥優遇反対、北朝鮮への対応だった。立候補した二人のうち、どちらかと言えば、リベラルと見られた文在寅候補が朴大統領より現状からの変革を目指した。しかしながら、終盤追い込んできた文候補に対して、韓国の国民もそれほど大きな転換を望んでおらず、これまでの李明博路線に若干修正を加え、朴正熙・元大統領への敬愛の気持ちの高ぶりからその娘を選択して、朴氏の勝利という結果となった。予想通り接線となり52対48の僅差だった。
感心したのは冷え込みの厳しい韓国の冬にも関わらず、国民の投票率が約75%を示したことである。先般のわが国の総選挙の投票率59%に比べて遥かに高く、韓国国民がいかにこの選挙に関心が高かったかが分る。この傾向は年齢が上がるに従って増し、50歳代有権者の投票率は実に89%だったというから驚きである。10人のうち棄権はたった1人である。日本の有権者が平均して10人に4人が棄権していたことは、恥ずかしいくらいである。
今夕の朝日「素粒子」に「対岸の75%の投票率と50%をめぐる攻防をうらやむ。4割が投票所に足を運ばない選挙で、3割で大勝した此岸」という表現がある。日本人でも心ある誰もが選挙に対する意欲と意識において、韓国人に完敗だったことに少なからずショックを受けていると思う。
さて、今月14日アメリカ・コネチカット州ニュータウンで起きた小学校の銃乱射事件で、生徒20名、教師6名が銃殺されたことが全米をショックに陥れた。銃が自由に手に入ることから犯人も自宅から持ち出した銃を安易に使用したことが原因である。つまり、銃の自由販売、自由所持が、まかり間違うと思いがけない形で暴発する。これまで繰り返されてきたことである。にも拘わらず、むごい事件は再び起きた。普通の市民感覚では、銃が野放しだから事故が起きた、銃なんてないに越したことはないというのが、一般的な考え方だと思う。だが、西部開拓史で明らかなように、自らの身は自分自身の力で守るという伝統と「常識」が身についているアメリカ人には中々納得されない。これまでにも同じような事件が起きる度に銃規制問題が俎上に上がった。ところが、強力な圧力団体である全米ライフル協会(NRA)が、議会を舞台に持論を強弁して譲らない。そのいたちごっこの末に、何年かを経過した後に再び類似の事件が起きる。民主主義発祥の地であるアメリカで、言論より銃器が優先されるとは悲しい。
1991年9月群馬県教員海外派遣団に同行して、コネチカット州グリニッチで小・中学校を訪問して教育研修をしたことがある。同州にはアイビー・リーグの名門プリンストン大学がある。グリニッチは静かな住宅地帯で黄葉がきれいな街だった。多分ニュータウンも似たような環境だろうと思う。あのような素晴らしい教育環境下で凶暴な銃乱射事件が起きたとはとても想像できない。
民主主義では日本は未だしの印象が強いが、こういう危険な事件発生という点では、アメリカよりずっと安全であることにほっとする。