6617.2025年6月25日(水) 朝鮮戦争勃発から75年が経過

 昨日の本ブログに3日前の日韓国交正常化60年について触れたが、実は今日は朝鮮動乱と呼ばれた朝鮮戦争が勃発してちょうど75年、3/4世紀になる。開戦の時は小学校6年生だったが、その当時プロ野球以外にあまり子どもが関心を抱くような話題がなかったせいもあり、この戦争が教室でも大きな話題となり、新聞とラジオが伝える戦況を毎日興味深く見守っていた。特に、北朝鮮軍が分断された国境線を越えて韓国領内へ侵攻し、南部へどんどん進軍していく様が新聞では地図入りで説明されたので、教室内でも友だちと地図を眺めては行方を見ていた。また、韓国の地名が韓国語の発音通りに書かれていたため、皆面白がって韓国内の地名を韓国語の読み方で覚えたりした。担任教師だった湯浅和先生が生徒たちの関心の様子を知って配慮したのかどうかは分からないが、授業中にも朝鮮戦争についていろいろ教えてくれた。その内南部へ追い詰められた韓国軍が、一転マッカーサー司令官の指令で国連軍・米軍一体となって仁川港への上陸作戦を敢行し、勢いのあった北朝鮮の背後を突くその作戦の成功により、攻守所を変え、逆に南は国境線を超えて北を中国国境線近くまで追い込む優位な立場に立った。そして、北朝鮮軍には中国人民義勇軍が支援するようになり、両軍の対決は一進一退を繰り返した末に、3年後の1953年7月27日休戦協定が結ばれた。38度線の国境が暫定的に今も朝鮮半島を北と南に二分して暫定国境となっている。だが、今以て南北朝鮮間の平和協定は締結されていない。

 隣の国の戦争に日本は関わらなかったと理解している国民が多いようだが、実は日本に駐留していた米軍が参戦し、日本は米軍の補給基地としての役割を果たした。また、朝鮮戦争による特需は戦後日本の経済復興に大きく貢献した。

 今も想い出すのは、小学校時代の湯浅先生と、京都市立中学3年時の社会科担当の棚橋先生が意外にもともに、同じような質問をされたことである。それは、仮に日本が他国に侵略されたら君たちはどうしたら良いと思うかと、2人の先生に同じような質問をされたことがある。その時、我々生徒たちは揃って鉄砲を持って抵抗すると応えたが、2人の先生の答えはいずれも、抵抗せずに黙って降参した方が良いと言われた。無駄な死に方は避けるべきだというのが、先生方のお考えだったようだ。血気盛んで正義感に溢れた子どもではあったが、どうして簡単に降参するのか、理解出来なかったことがその後大分時間を経てから少しずつ分かって来た。どうしたら良いか、本当のところは今以てはっきりとは分からないが、先生方が言わんとした無駄な死に方は避けるべきだというお考えが、何となく理解出来たと思えるようになった。

 今世界各地で戦争や紛争が絶えないが、現実に戦っている現場の兵士たちはどう思って銃を敵方に向けているのだろうか。私の息子や孫たちの時代になったらどうなるかは分からないが、もう平均年齢を生きた我々戦前生まれが、戦争や地球破滅によって消し去られることはないと思う。ただ、危ない現代社会の戦時の危険と、その空気だけは、息子・孫たちにも体験させたくないと心から願っている。

2025年6月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com