6591.2025年5月30日(金) メルケル元ドイツ首相が考える「自由」

 昨晩テレビ「報道ステーション」で今来日中のメルケル・元ドイツ首相に大越キャスターがインタビューした。EUの主要国ドイツの首相を16年間も務めた人だけに、個人的に政治力はもちろん、人間性においても優れた優秀な世界的な政治リーダーであることは承知していたが、話すことがひとつひとつ納得できる内容で、改めてメルケル氏のインテリジェンスと非凡さに敬服した。

 今回訪日したのは、回顧録「自由」日本語版を出版したのを機に、現役の政治家としてではなく作家として日本を訪れたものである。テーマを「自由」にした理由は、自由が自分の人生全体を貫いていると考えていて、子どもにとって自由は特別なものだったが、育った東ドイツでは自由がなかった。自由は民主主義国家にしかなく、そのためにメルケル氏は活動してきたという。メルケル氏は東ドイツで育ったが、もし旧西ドイツで育っていたら、政治の道を歩まず、他の職業を選択しただろうと語った。それほど自由のなかった母国東ドイツに苦しめられたのだろう。

 そもそもメルケル氏は政治畑を歩む気はなかった。東西対立当時の東ドイツでは大学で物理を学んだ理系の人だった。1989年11月ベルリンの壁崩壊が、メルケル氏の進む方向を変えさせた。この時西側になだれ込む群衆の中にメルケル氏もいた。メルケル氏はその時、「単なる自由は存在しない。いつの時代も自由は勝ち取っていくことが重要だ」と強く思ったそうである。私も東西対立時代に東ドイツに入国してベルリンの壁の前に立ち、東ドイツ兵らに見張りされながら重苦しい気持ちに襲われたことがある。そして、その後壁崩壊後に訪れた時の東ドイツには、何らの制約もない自由な空気に社会の違いを感じたものである。とにかく東ドイツ時代には、上から監視されていて「自由」なんてまったくなかったと思う。我々が東ドイツの学校を訪れても、終始シュタージという秘密警察官が我々の周囲に付いて監視されているようなプレッシャーを感じたものである。

 ドイツ首相在職中から大統領第1期時代のトランプ氏には、お互いに顔を合わせながらもどうもぎすぎすしてあまりお互いに敬意を表するような空気を感じなかった。それはテレビ中継されたG7会合の雰囲気からも察しられた。トランプ氏特有の持論を押し付ける強引さにメルケル氏も辟易したからではないかと思う。実際、安倍元首相とは息の合ったトランプ氏も安倍氏とは19秒間も長く握手していたが、メルケル氏とは、周囲に促されながらも遂に手を握ることはなかったと昨晩も語っていたくらいである。

 ただ、ウクライナ侵攻では、一部にメルケル氏のロシアへの融和的な対応が、隙を作らせたとの批判もある。

 いずれにせよ長きに亘ってヨーロッパ、否世界の政治のリーダーでもあったメルケル氏には、毅然とした哲学、自由を尊ぶ姿勢がある。その辺りは、他の首脳らにはあまり感じられない。況してやトランプ大統領のような自己中心で、自由をはき違えているような首脳とは大きな違いがある。

 来日中にぜひとも石破首相もメルケル氏に会って、じっくりトランプ対処術やアメリカの言う自由度というものを教えてもらった方が良いと思う。

 さて、今日は雨交じりで寒かった。都内の最高気温が16.5℃で4月上旬の気候だった。先日は夏日だったが、今夏はアップダウンを繰り返した末に、猛暑となるのだろう。

2025年5月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com