今日は久しぶりに鎌倉で高校時代の親友とランチをともにし、あれこれ懐かしい昔話をして楽しんだ。彼を含めて普段から仲の良かった高校の親友は6~7人いたが、全員大学進学では1年か、2年浪人生活を送る破目になってしまった。その後も時折会ってはいた。コロナ前までは1年に1度は会って会食をしていたが、家族の不幸や、コロナもありしばらく会うことはなかった。
そこで久しぶりに彼らに会いたいと思い、皆に連絡してみたが、どうも都合がうまくつかない。結局鎌倉の友人だけに会うことになった。その友人とは互いの浪人時代にも情報を交換し合っていた。大学を出て保険会社に勤めていたが、その間に奥さんに先立たれ、家庭のことは傍にいたお姉さんがお世話をしてくれていた。父親が元々鎌倉人で地元でも有力者だった。神社やお寺の総代なども引き受けておられたので、彼も父親が亡くなられてから業務を引き継いでいたが、大分苦労していたようだ。
実は、彼も健康状態があまり芳しくなく、毎週3度も点滴を行っているようで、歩く際にも杖を突きながらよろめいていたので、身体を支えてやると何とか歩けるようだ。食事を終えてから彼の自宅へ歩いて行ったが、途中に「八雲神社」というそれほど大きい神社ではなかったが、周囲を森林で囲まれた雰囲気の良い神社があり、そこへ彼の案内で立ち寄った。常勤の神主さんはおられないようだが、伝統のある神社らしく、格納庫に外から見えるように4つも立派なお神輿が収納されていた。お賽銭をしてくす玉を手にした時、フッと板を見たら彼のお父さんの名前が書かれていた。それだけではなく鉄製の第2鳥居に、ご両親のお名前が刻印されていた。鳥居はご両親が奉納されたものだった。近くには北条政子のお墓がある安養院というお寺もあった。JR鎌倉駅のほど近くとあれば、神社仏閣に事欠かないが、こういう目立たないところにもそれなりに由緒のある神社仏閣があるものである。帰りに彼のお宅へ伺って彼を世話していたお姉さんに何十年ぶりかでご挨拶した。食事は彼にご馳走になる形になったので、お言葉に甘えてすっかり世話になってしまった。
今日は他にも嬉しいことがあった。他愛のないことだが、鎌倉への往路の電車内で座席を譲られたことである。しかも東横線車内と横須賀線車内の2度である。今までこんなことはなかった。最近では車内へ乗り込んできた私を見て高齢者ということが乗客にもすぐ分かるのか、座席を譲ってくれるケースが増えた。欧米の乗客に比べて日本人はあまり他人に席を譲るようなことはないと思っていた。実際最近でもシルバーシートに黙って座り込みスマホに熱中し、高齢者を無視している若者をしばしば見る。私も最近は若いころと異なり、電車内でゆっくり座りたくなることが多いが、若者はあまり席を譲ってくれなかった。それが、今日は乗り込むや直ぐ座席から立ち上がってどうぞと譲ってくれた中年の女性や、若い女性には、お礼を言うくらいしか嬉しい気持ちを返せない。それでも気分は好い。段々私の年寄りぶりが板についたというか、目立ってきたのだろうが、若い人の間にも少しは互譲精神が身に付いてきたのだろう。
ともかく今日は行きがけにこういう気分スッキリにさせてもらい、久しぶりに親友と会って旧交を温めることが出来たのは、幸せな1日だったと思う。