6567.2025年5月6日(火) 戦後80年、戦没者のご遺骨未だ帰らず

 先月26日から始まった長いゴールデン・ウィークも今日が最終日である。今日は朝から雨模様で、一昨日から長男が我が家に泊まっていたが、今朝雨の中を奈良へ帰って行った。昨日は横浜に住んでいる次男家族4人とともに近所の洒落たイタリアン・レストランでディナーをともにして、久しぶりにラグビーに熱中している中学3年生の孫ともラグビー話で打ち解けることが出来た。

 さて、今年は終戦後80年という節目の年でもあり、戦争に関する記念行事や、戦没者の慰霊、或いは未帰還のご遺骨収容などに関して、多くの情報が話題に上がる。今日の朝刊で中部太平洋のペリリュー島の遺骨収集の話が一歩進んだと知った。すでに集団埋葬地が見つかったとの情報は、昨年水落日本遺族会会長から聞いて承知していた。そこへこの連休に福岡資麿・厚生労働大臣がペリリュー島のあるパラオ共和国政府を訪れ、遺骨収集が出来るようパラオ政府担当大臣に協力を要請して受け入れてもらい、2027年度に実施されることに決まったようだ。

 パラオ共和国のペリリュー島へは新しい首都マルキョクのあるパラオ本島からかなりの距離があり、しかも海は平素からかなり高波があって収容したご遺骨を運ぶのは中々の苦労を強いられると思う。ペリリュー島の南のアンガウル島も玉砕の島として知られるが、この両島間が大分荒れ狂う。今度の遺骨収集団ではアンガウル島の遺骨収容は考えられていないようだ。半世紀ばかり以前にペリリュー島を訪れ、モーターボートでアンガウル島を目指した際に、随分荒波に悩まされ思うように前へ進めなかった。アンガウル島岸壁で当時のエンドー村長さんが、出迎えに来られながらも、これから海が大分荒れそうなので、直ぐ戻った方が安全だとジェスチャーで合図を送ってくれ、止むを得ず引き返したことがある。

 それにしても太平洋戦争激戦の地として知られるこのペリリュー島では、1万人以上の旧日本軍兵士が戦死されたとされている。他方、アメリカ兵も1,600~1,700人が命を落としたと言われている。海底に沈んだままで収容が難しいご遺骨は今回対象にはなっていないが、2,400人分のご遺骨が集団埋葬地に眠っている。

 私はサラリーマン時代にこの戦没者遺骨収集事業に長年関わっていたので、他の地域と合わせて随分実務に携わって来た。特に中部太平洋地区の遺骨収集団に関しては、当時の厚生省より一括取り扱いを任せられていたので、下見を含めて多くの戦没地を訪れた。

 太平洋戦争の海外における戦没者の数は、約240万人と言われている。最も犠牲者が多かったのは、中国大陸の71万1千人で、次いでフィリピンの51万8千人、それに次いでペリリュー島を含む中部太平洋と東部ニューギニアのそれぞれ24万7千人である。こればかりは相手国側の事情もあり、必ずしも犠牲者の数が多い国が、収骨数が多いかと言えばそうではない。事実未収骨数の多いのは、1番にフィリピンである。36.9万柱が未だに収骨されていない。戦没者の71%余のご遺骨が収容されていないことになる。それに次いで中部太平洋の70%の未収骨が多い。

 あの残酷な戦争があったことは日本人として決して忘れてはいけないことであるが、今の政治家らが、しばしば忘れてしまったような言動をとることを知って情けなくなり、絶望的になることもある。現地で遺骨収集作業に携わっていると焼骨の際に遺族が流す涙と立ち上る煙を見ていると涙腺が緩むのは如何ともしようがない。中部太平洋地域の遺骨収集事業では、各島で収骨されたご遺骨を最後に厚生省遺骨収集団本部のあるサイパン島で焼骨する焼骨式を行う。焼かれるご遺骨の周囲を取り巻いた団員やご遺族が静かに見守る中で、煙が立ち上がり蝶々が何匹か飛んで来て煙の中をかいくぐり煙とともに飛び去って行く蝶々を見てご遺族が、お父さんもやっと安心して冥界へ旅立ったというセリフを聞いて、涙がこぼれたことが思い出される。

 海外での戦没者240万人の内、戦後80年が経った今でも半数近い47%112万人のご遺骨がご遺族の元に帰ってきていない。すべてが収骨されることは難しいだろうが、おひとりでも多くのご遺骨が母国のご遺族の元へ帰還されるよう祈っている。

2025年5月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com