噂で知った程度で計画が真実とは思ってはいなかったが、実際に計画が走り出していることを昨日の読売新聞朝刊で知った。それは、義務教育の現場で紙の教科書と同様に、デジタル教科書を正式な教科書とすることを中央教育審議会作業部会が提起していることである。デジタル教科書とは、学校教育法の改正により2019年度から制度上紙の教科書に代えて紙と同じ内容をデジタル化したものである。
現在中央教育審議会で議論されているデジタル教科書は、現状では紙の教科書の「代替教材」の位置づけであるが、2030年度以降には、正式な教科書にする目論見である。もしそれが決定されれば、現在教科書は紙だけに限られているが、①紙、②デジタル、③紙とデジタルを組み合わせた「ハイブリッド」という形態になる。これまで教科書の選択は、紙の教科書の中から選ばれていたが、①、②、③のいずれかから選べることになる。現実に24年度から小中学校の英語と、算数、数学の一部でデジタル化教科書が導入されていることを恥ずかしながら知らなかった。
読売の「論点」にこの問題に関する3人の専門家が提言しているが、いずれもデジタルの効用は認めるものの、紙の教科書が使用されなくなったらいかに学校教育で失うものが多いかと提起している。
3人の専門家の考えを紹介するなら、まずアドレルクロイツ・フィンランド教育相は、同国内の一部の都市では、デジタル教科書から紙の教科書への回帰現象が現れて来たそうである。生徒のために教育現場でデジタル機材を提供してきたが、成果は現れず、むしろ国際的に生徒たちの成績は低迷している。それは世界の15歳の学力を測る「国際学習到達度調査(PISA)」で2000年度にフィンランドの読解力は世界のトップに就いたが、この20年間に徐々に順位を下げ、22年度には14位にまで下げた。読解力が低下した背景には紙の本を以前に比べて読まなくなったことが影響している。全般的に子どもたちの読書量が減り、そのため集中力を維持出来ず、長文の内容がつかめないなどの悪影響を及ぼすようになった。紙であれば情報をより良い形で記憶できる。下線を引いたり、メモを書いたりするのも簡単である。ただ、デジタル教材のメリットもあるので、一切排除するつもりはない。以上がフィンランド教育相の言い分である。
他の2人の専門家の内、酒井邦嘉・東大教授も紙媒体のメリットをアピールしている。人間の脳の特性を踏まえると、学習に最も適しているのは紙媒体であると訴えている。人間の脳は、いつ、どこで、誰が、何をしたかをエピソードとともに覚える。紙の教科書なら、どのページのどこに書かれていたかの位置関係から内容を深く記憶することが可能となる。実際他の北欧国のスウェーデンの大学、ノルウェーの高校でも調査した結果、パソコンと紙で同じ内容を読んだグループの内、紙で読んだグループが好成績であったとの実例があるという。新井紀子・国立情報学研究所教授は、子どもたちの読解力が低下する懸念があり、デジタル教科書は「教材」として利用出来れば十分で、教科書に格上げする必然性はないと言われる。
私の拙い経験から言うなら、教科書がデジタル化されたら、普通小中校の教科書で習う漱石や芥川の小説などが記憶に残らないのではないかとの疑問がある。それによって子どもたちの読書量が減ることが心配である。この問題については、あまり深く考えることなく現状のままで良いのではないかと考えている。