最近プロ野球を実戦はもとよりテレビ観戦することも少なくなった。小学校2年生の時に、疎開先の房州・勝山町(現鋸南町)から父に連れられ兄弟ともども後楽園に巨人戦を観戦してから毎年のように後楽園に行った。1957年浪人中に予備校の帰りに、気楽にも巨人対大洋戦を観戦したら幸運にも、28連敗中の大洋の権藤正利投手が巨人を完封して連敗を脱出し、胴上げされた興奮したシーンを目の前で見た。入団早々の巨人長嶋茂雄選手が、国鉄金田正一投手にノーヒットに抑えられた試合も見ることが出来た。それが今では偶にテレビ観戦する程度にまでなってしまった。ただ、プロ野球に関心がなくなったわけではなく、他にやるべきことが増えてしまったからだとでも言うより仕方がない。
今月18日にかつてプロ野球・阪神と毎日で活躍した小山正明投手が亡くなっていたことを今朝の新聞で知った。残念ながら小山投手が登板した試合を観戦したことはなかったが、中々素晴らしい投手で巨人が中々彼を打ち崩せなかった。村山実投手と並び、阪神の優勝にも貢献した一時代を画す選手だった。
今では日本のプロ野球も世界野球選手権(WORLD BASEBALL CLASSIC)で優勝したり、日本のプロ野球出身の選手がアメリカのメジャー・リーグで活躍するようになり、昔に比べてレベルは格段に向上した。日本のプロ野球が飛躍する雌伏の時機に阪神、毎日のエースとして活躍していた小山投手が享年90歳で他界されたことを知り、寂しく思っている。今の大谷翔平選手らがMLBで大活躍している姿を知って、どう思っているだろうか。大投手の割には、21年間の現役時代に最多勝1度、最高勝率1度、最多奪三振1度と比較的タイトルには恵まれなかったようだが、通算320勝という歴代3位の記録は燦然と輝いている。それでも1960年代に最も活躍した当時の年俸は最高で1,440万円だったというから、現在と比較したら並みの選手以下の棒給だったことが分かる。
実は、21日に労働組合の日本プロ野球選手会が発表した今シーズンの日本人選手の年俸調査によると、チーム別に最高額は巨人軍の7,800万円で、2位はソフトバンクの6,956万円、3位に阪神の5,799万円が入っている。最下位は西武の3,744万円で、12球団の中でも随分格差が大きい。活躍時の小山投手の最高年俸なんて、今ならとても契約締結とはいかなかったであろう。現在のプロ野球選手の平均年俸は、4,905万円だそうである。選手として活躍できる年数を考えると、果たしてこれが高いか、低いかは何とも言えない。
近年はサッカーのJリークの選手も大分高給を得ているようだが、優秀な選手は海外で活躍するようになって、今イングランドのクリスタル・パレスに所属する鎌田大地選手が日本選手の中でもっとも高給を獲得し、年俸は推定約10.4億円と言われている。2位もイングランドのアーセナル所属の富安健洋選手の9.9億円、3位が同じイングランドのブライトンで活躍する三苫薫選手の7.9億円であり、以下4位はモナコの南野拓実選手の7.3億円、5位はミュンヘンの伊藤洋輝選手の6億円で、プロ野球選手より高給取りが多い。
いずれにせよ、給料は多いに越したことはないし、それが選手の励みにもなり、結果的にそのスポーツが繁栄するひとつのベースにもなる。小山投手が活躍した60年前に比べて、時代とともにスポーツする環境は、施設面でも待遇面でも随分豊かになった。これからもスポーツ環境は良くなることだろう。