6552.2025年4月21日(月) 読者に分かり難い朝日新聞の意図

 結婚して来月には56年になる。それ以来朝夕とも新聞は朝日を購読している。慣れてしまうと新聞の特徴、癖など、読む要領も分かり、時折宣伝用に読んで欲しいと他の新聞を何度か配達されたことがあるが、やはりすっと入っていけない。現時点では読み慣れた朝日を読み続け、恐らく残りの人生もこのまま朝日を読み続けることになるだろう。

 ついては、この朝日新聞にもいくつか気になる点がある。最近一番不可解だと思ったのは、夕刊の題字が従来の縦書きから読売新聞と同じように横書きに変わったことである。朝刊はそのまま縦書きである。更に一面の見出し、項目が横書きになったり縦書きのままだったり、今夕は大見出しが横、中見出しが縦というように、どちらにするのか迷っているのか、読む方も戸惑うことがある。実に自己主張の強い朝日らしくないと思う。

 気になる2つ目は、朝刊紙の連載小説である。まず、前々回の小説から挿絵が姿を消してしまった。硬い小説を読んでいて、挿絵は息抜きにちょうど好い。そして文章と合わせてストーリーをイメージできるのが好い。ホッとする箇所である。それだけに断りもなく挿絵がなくなったのが残念である。他の大手新聞を見てみると挿絵は挿入されている。何故朝日はこの息抜きとも言える挿絵を止めてしまったのか分からない。

 そして、最も留意してもらいたい3点目であるが、最近連載小説につまらない小説があることである。社内でどういう小説になるのか、作者の考えや構想を聞き検討されたうえで連載することを決めたことと思う。例え著名な作家であっても、新聞連載小説になると途端につまらなくなることがある。これは私のブログにも「つまらない新聞連載小説」と何度か取り上げたところ、Googleの定例月間レポートで、この朝日の連載小説がつまらないことについて書いたブログが、何度か1番アクセスが多かった。天下の朝日に掲載される小説がなぜ面白くないのか、編集者なら分かりそうなものだと思う。最近では最も退屈したのは3年前にほんの数か月間連載された多和田葉子著「白鶴亮翅」だった。作者も良く知られた人気作家で舞台もドイツなら読者に受けるとでも思ったのだろうか、こんな退屈で筋書きのわからない、つまらない小説はなかった。幸いその後直ぐ終わったから良かった。その点で現在連載中の門井慶喜著「夫を亡くして」は、詩人だった北村透谷が自死した後に残された妻のミナがアメリカへ渡り、英語をマスターして英語教師として逞しく生きていく姿を今日まで前向きに描いて、興味津々である。ただ、残念ながらこれにも挿絵がない。しかし、小説自体は朝日にとっては1点光り輝くものである。

 気になる4点目は、連載中の4コマ漫画である。実は、漫画には興味がないので、目を通すこともなく、どんな漫画が掲載されているのかさえ知らなかったが、偶々昨日隣の記事を読んでいてつい目が漫画に行った。これが、「ののちゃん」という「いしいひさいち氏が描く連載漫画」で、驚いたことに連載9848回とある。まもなく1万回である。30年近くも長い間連載されていたのに、昨日まで全く気付かなかったことになる。ただ、個人的に厳しく指摘するなら、昨日の漫画の意味はまったく分からない。ストーリーにも漫画にもなっていない。漫画というのは、絵・イラストを見れば一目瞭然であるべきであるが、昨日の4コマ漫画はいくら考えてもその意図するところが理解出来ない。読者を煙に巻くのが朝日の不思議なところと厭らしさなのだろうか。まぁ謎解きのような面白さがあると言えば、そうも言えるのだが・・・。朝日ももう少し視野を広げ、目線を下げた方が良いのではないかと思っている。

2025年4月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com