いま中国で一部のメディアと共産党指導部との間で「言論の自由」闘争が勃発している。そもそも司法権が共産党政権下にあり、民主主義の理念である三権分立すら見られない中国当局が「言論の自由」を言い出すこと自体ナンセンスである。中国共産党政府が主張する「言論の自由」それ自体が疑問であるところへ、党機関紙・人民日報系の「環球時報」が常識論者ぶった下記のような偽善的発言をするからなおさらおかしい。
「西側諸国でも主要メディアが公開で政府に対抗する道は選ばない。中国でこんなことをすれば、絶対政府に負ける」と、困った時の神頼みのように西側メディアを盾に取り、我こそが模範であり、それに倣うべきであると民衆を挑発し牽制し、たぶらかそうとしているのだ。
広州で発行されている「南方週末」新年特別号が、当局の指示で改ざんされ、これに同紙記者らが抗議し、彼らを支持する市民が同調して抗議活動を起こし、「言論の自由」を求めて当局を批判している。それに対して公権力が市民を押さえつけようとしているのだ。
ことの発端は、同紙特約評論家が「中国の夢 憲政の夢」と題する文章を載せたが、広東省共産党委員会宣伝部長が書き直しを指示し、習近平総書記が唱える「中華民族の偉大な復興の夢」に書き換えられたことによって大きな問題となった。隠された話が大分あるようだが、当局がツィッターでこの間の事情について嘘の発表をしたり、記者らがネット上で反論するとそれをすべて削除したり、党が記者らを封じ込めることに懸命になっていることが分る。
この事態がどのように決着がつこうとも、所詮中国国内には「言論の自由」が存在しないことは先刻明らかである。
この件に関して中国共産党中央宣伝部は、今回の事件に海外の敵対勢力が介入していると各メディアに緊急通達まで出して、外部勢力に責任を追っ付けようとして市民からの批判の目をかわそうとしている。しかし、これはいつもながらの中国政府のプレッシャーのかけ方である。抗議デモを弾圧するために、今度は広州の「南方週末」本社前には監視カメラまで設置されたというから、「言論の自由」論議はまったく別物で、ただ反対勢力を押さえつけることだけを考えているように思えて、とても話にならない。
数日前韓国の反体制作家・金芝河氏が39年ぶりに無罪となった。民主化運動への弾圧事件で軍政による厳しい言論統制を受け、今日漸く完全に自由の身となった。それに反して共産党なら夢想だにしなかった国民の自由を奪うという現下の中国は、いまや経済大国に発展したとは申せ、自由度という点では世界の中で最下層の国家と言えるのではないか。
アメリカ国務省ヌーランド報道官は、メディアの検閲は現代の情報化社会や経済を目指す中国の国情にそぐわないと述べ、言論の自由を重視するよう中国政府に要求した。また、国際ジャーナリスト連盟は、言論の自由を保障した中国の憲法に違反しているとして習近平総書記に調査を求めた。
これに対して、中国の洪磊・外務省副報道局長は、いつもながらニコリともせず、口を尖らせて一気呵成に「いかなる国や人が中国の内政に干渉することにも反対する」と突き放していたが、毎度外国の内政に口を突っ込み引っ掻き回しては、国際社会から嫌われ顰蹙を買っているのはどこの国だと言ってやりたい。
この「南方週末」の言論の自由論は、どういう結論になるのか。本当の意味で中国の自由度が試されている。