アルジェリア人質事件は最悪の結果となった。昨晩遅く安倍首相が日揮㈱関係者の安否不明者10人のうち、7人の死亡が確認されたと公表した。残る3人の安否は依然分らない。テロリストの非道な行為は当然厳しく非難されて然るべきであるが、今回の事件でなぜアルジェリア政府がテロ事件解決のためとは言え、制圧作戦を急いだのか謎を深めていたところ、昨日セラル・アルジェリア首相が人命優先とともにガス施設も大切であり、その施設がテロリストにより爆破される恐れが生じたので、直ちに行動を起こしたと述べた。アルジェリアにとってはわれわれが考える以上に、テロリストに狙われた施設が重要な意味を持っていたのだ。
アラブ社会では人質にされるとその仕打ちは拷問どころか、想像もできないほど酷いものだと、イスラエルのガイドのシュタイン・トモコさんが先日メールで教えてくれた。
1967年第3次中東戦争直後に戒厳令下のアンマン市内で、私は白昼ヨルダン軍隊に身柄を拘束され、宿泊していたホテルに連行され取調べを受けた。その時兵士らに取り囲まれすべての所持品を検査され、隊長らしき人物から詰問されたが、テロリストとか危険人物らしき疑いは抱かれなかった。質問に対しても真実を淀みなく答えた。それらが好意的に受け取られたのか、身の潔白が証明されまもなく解放されて収容所には連行されず、おかげで看守から暴力を振るわれることはなかった。トモコさんによると、私が解放されたことは幸運過ぎるくらい幸運だとも言われた。いかに彼らアラブ人看守の暴力がすさまじいかは、ひとつの例としてダスティン・ホフマン主演の映画「ミッドナイト・エキスプレス」のアラブ人収容所内の拷問の場面を観れば分るとも言われ、DVDで同映画を鑑賞するよう勧められた。いずれ観てみようと思っている。
当時の私は戒厳令の実態について深く考えることもなく、あまり自分自身の身の安全ということを深刻に受け止めていなかった。実際兵士にライフル銃を突きつけられ、押さえつけられた瞬間はそれほど危険ということについてはぴんと来ていなかった。だが、しばらくしてヨルダン兵から ‘Hold up!’と言われもしないのに、無意識のうちに両手を上げ、身体中ぶるぶる震えだして市民からじろじろ注視される監視の中を兵士らに連行され、現場から引っ立てられて歩いた屈辱が走馬灯のように思い出される。トモコさんの言うように運が悪ければ、あの時この世とおさらばしていたかも知れないのだ。今でも思い出すとぞっとする。
アルジェリアで安否が分らない3人の方々は今どうしているだろうか。厳しい拷問に晒されているようなことはないだろうか。
私自身身柄を拘束される危機一髪の窮地に追い詰められた若気の至りがあるだけに、生々しく唾棄すべき過去を思い、今回のアルジェリア事件が関係者すべてにとっても後遺症が残らなければ良いがなぁと心より願っている。
さて、昨日アメリカでは、オバマ大統領第2期目がスタートした。日欧と同じくアメリカ経済も順調ではなく、つい先日先延ばしになった「財政の崖」問題がまもなく再び押し寄せる可能性もあり、加えて銃規制という難しい問題も抱えている。昨日の就任式では、ワシントンの国会議事堂前には6万人のアメリカ国民がお祝いに集まった。議事堂前は人で溢れていた。しかし、1期目の熱気はあまり感じられない。過去4年間は期待が大きかった分失望も大きかったのだろう。実際4年前の就任式には18万人もの国民が集まったという。4年後の再選はないだけに、オバマ大統領にとって第2期は思い切った政策を実行できるとも言われている。 ‘Yes, we can.’精神を再び奮い起こして欲しいものである。