今教育界にいくつか深刻な問題が持ち上がっている。
最近最も話題をさらったのは、大阪市立桜宮高校の運動部顧問による体罰に悩んだ運動部主将が自殺した事件だろう。同校は橋下徹市長の強い意向で体育科の入試を今春中止する異常な事態に発展した。後顧に憂いを残す問題を提起したので、今後広く論議を呼ぶことになるだろう。
過激な橋下市長が、事件の充分な検証や対策もしないうちに強引に教育現場へ介入したことで、受験を間近に控えていた受験生の夢を奪うことになった。表面的な善悪だけの判断で複雑な問題を一刀両断にすることが、果たして教育の名に値するものだろうか。しかも、橋下市長は万一入試を中止しなかったら、市長を辞任して再市長選で市民の信を問うと言ったという。流石にこの目立ちたがりのパフォーマンスは周囲が止めたようだが、この思い上がった独裁者は一体何を考えているのだろうか。
2つ目は、国家公務員の給与削減に同調して地方公務員の給与も削ることになったそのツケが、思わざる結果をもたらしてしまったことである。その期限の決め方とか方法論が問題を提起した。退職手当の条例改正に伴い、退職金が減らされる前に「駆け込み退職」する教職員が相次いだのである。埼玉県のように123人もの教職員が退職を申し出たそうである。原因は、今年1月末までに退職すれば規定通りの退職金を受け取ることができるが、それ以降だと退職金がカットされる条例の施行である。これで年度行事の卒業式や終業式に一部支障を来たし、当然出席する予定だった教師が出席しないという異常事態となり、学校と生徒にとって後味の悪い学年末を迎えることになる。
それぞれ言い分はあろうが、1月末という期限を区切りに退職金の額に差をつけるという教育現場無視の条例改正こそが一番の癌であろう。
3つ目は、公立小中学校のすべての学級の人数を最大35人にする計画を文部科学省が断念したのである。実はこの制度はまだ緒についたばかりで、現在上限を35人と義務教育標準法で定めているのは小学校1年生だけである。文科省は小1の学級が持ち上がる小2についても、小1と同様の法改正を検討したが財務省が拒絶した。はっきり言って今年度までに小1、小2の「35人以下学級」を実現した民主党政権は5年間で中3までの全学年に広げる計画を立てていたが、政権交代によりいとも簡単に白紙に戻してしまったのである。
文科省の教育視察団のお供でアメリカの初中教育の現場を度々視察したが、1クラスはほとんど20人以下の学級編成だった。ヨーロッパの小中校も大体1学級30人以下だったように記憶している。
長期的なスパンで考えられるべき教育行政が、日本ではどうも軽視されているような気がしてならない。今の政治家と官僚には教育のあるべき姿が分っていないようだ。だが、その一方で公共事業には税金をじゃぶじゃぶ注ぎ込むことを惜しまない腹積もりのようだ。
結局予算を獲得し、政策を実行するのは政治家と官僚・役人である。長期的教育効果とか国家的視点で考えることより、彼らは自分の損得だけでしか物事を考えないのだから話にならない。
それにしても日本の教育は、政治家の手によって望ましい方向とは逆行している。日本の将来にとって希望を失わせているのは政治家と政治制度、そして官僚機構であると言ってやりたい。