2083.2013年1月25日(金) 人質事件の犠牲者、母国へ帰る。

 今朝アルジェから日本政府専用機で人質事件の生存者7名と、最後に死亡が判明した人を除く9人の遺体が羽田空港へ帰ってきた。テロリストの凶暴な犯行により亡くなられた方々の気持ちは、さぞや無念だったのではないだろうか。一緒に帰ってきた日揮㈱川名社長の挨拶もまさに痛恨の極みと述べ悲痛なものである。亡くなられた方々にまつわるエピソードを伺うと哀れでならない。

 どこへこの悔しい気持ちをぶつけて良いのか、関係者の気持ちも乱れるばかりではないか。こういう悲しいムードを慮って、宮内庁では昨秋喜寿を迎えられた常陸宮の内宴を、天皇の強い意向で取り止めることにした。また、あるテレビ局では人質事件を大きなテーマとして取り扱った番組の放映を延期することになったという。

 当事者はもちろん身近な人にとって精神的な影響が大きいのだ。今朝もテレビで、1996年に起きたペルー日本大使館襲撃事件当時の青木盛久大使が、事件後しばらくは恐怖感があり、精神的に落ち着かなかったということを話していたが、今回も人質になった方々の心のケアを忘れてはならないと思う。

 3日前の本ブログに、戒厳令下のアンマンで軍隊に身柄拘束された私自身の体験を簡単に綴ったが、私は運が良かったのだと改めて思う。もし、あの時軍ではなく、テロリストに拉致されたらどうなっていたか。また、ヨルダン軍に疑われたまま収容所に連れて行かれ、拷問でもされたら、現在の自分はいないのではないかと空恐ろしくなってくる。拘束を解かれてからホテルのロビーに出てきた時、偶々当時のフセイン国王(現国王の父)の取材に訪れていたテレビ朝日クルーから、このままどこかへ連れて行かれてズドンとやられたって死体なんか出て来ませんよときつい言葉をぶつけられたが、よく観察すればそれほど現場には危険なムードが漂っていたとも言えるのだ。幸運にも私は解放され、惨めなことにはならなかったが、あくまで運が良かったレアケースと受け止め、この体験を安全な海外旅行のために、もう少し有効に啓蒙していきたいと思う。

 さて、今公明党の山口那津男代表が中国を訪れ、今日中国の習近平・総書記と会見して一応存在感をアピールしたようだ。今後日中両国の政治レベルで対話が発展するならこの上ないことである。ただ、中国要人との面会前に、日本政府の意向とは相容れない日中間のかつての約束事、つまり尖閣諸島棚上げ論を再び元に引き戻すがごとき発言をしている。問題が生じそうになると話を取り下げたり、本意とは違うと言い訳を述べたりしているが、先に鳩山由紀夫・元首相が同じような発言をして総スカンを食ったばかりである。山口代表は、公明党の元代表・太田昭宏氏が前回衆議院選で落選して代表の座に就いたが、今回太田氏が国会議員に返り咲いたのを機会に再び公明党代表へ復帰を策していることを警戒して、自らの強い存在感を打ち出すために外交の場ではしゃいだ発言をしたのではないか。国益より自分の利が欲しい人なのではないか。東大卒の鳩山、山口両氏とも受験向きの優秀な頭脳を有しているらしいが、強い個人欲と非常識さ、空気が読めない点では天下一品である。彼らが漏らした放言癖のツケは巡り巡っていずれ国民に回ってくる。「デフレ脱却のために日銀で輪転機を廻してお札をどんどん印刷すれば良い」と述べた安倍首相や、「死にたい人には生命維持装置なんか着けないで死なせて欲しい」などと暴言を吐いた麻生副首相など、程度の低い政治家に呆れるばかりである。

2013年1月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com