現代社会になっても歴史的事実、史実が完全には解明されていないことは言うまでもない。だが、それが長い間学校で学んだ史実に疑問を呈する事態になるとちょっと厄介である。噂には聞いていたが、鎌倉幕府が開かれた年号がこれまで信じられていた1192年ではないとなると、戸惑いを感じるとともに、なぜだと疑問を抱き確認してみたくなる。
今日から朝日夕刊に「歴史のズレ」というシリーズ物連載が始まった。それによると鎌倉幕府開府は、本来源頼朝が軍事・行政官である守護、地頭を各地に置くことを朝廷から許され、実質的に支配を始めた1185年だそうだ。では、これまで受験勉強中語呂合わせして必死に暗記した「イイクニ創ろう鎌倉幕府」だった1192年は何だったのか。それは頼朝が朝廷から武士の最高位である征夷大将軍に任じられた年である。これも充分根拠があるので、どちらかを一方的に決め付けるのではなく、多くの歴史専門家が検証し充分議論を戦わせてどちらかに決定すべきだろう。敢えて社会を混乱に陥れてまでも開府年号を変えて通史を変更する必要があるだろうか。
私にとってもっと意外だったのは、幕府という概念自体が、その当時はなく、江戸後期になって生まれた言葉だったということである。「鎌倉幕府」という言葉が初めて使われたのは明治になってからだというのも意外だった。従って鎌倉時代に頼朝に仕えた武士たちには、自分たちが「幕府」の構成員であるとの認識はなかったそうである。
今鎌倉幕府がわが国最初の武家政権だという通説にも異論が出ている。本郷和人・東大教授は平清盛が後白河法皇を幽閉し、福原で政治、軍事権を握った1179年こそが、最初の武家政権「平家幕府」が開かれた年だと論じているのである。
一番困るのは、疑問は疑問として中途半端なまま一方的にどちらかが正しいという結論を出され、新しくなった史実を教えられた生徒たちが、一方ではそうではないと思っている昔の歴史を学んだ大人たちとの間で、真偽はどちらか迷わされることである。歴史教科書の中には、すでに新説の記載で走り出しているものもある。つまり、鎌倉幕府の開府が1185年と記載されて教えられているのである。問題は2つの説を充分検証もしないで、それぞれが自説にこそ正しい根拠があると主張することによって、不信感の中で誤解と困惑が拡散することである。
それにしてもわが国の歴史上の史実が変わるかもしれないこんな重要な事態に、文科省はなぜ何も発言しないのだろうか。