政府税制調査会会長を長らく務めた加藤寛先生が亡くなられた。先生は私の学生時代からスマートで颯爽としていた。私が三田の学生当時はまだ助教授だったが、計画経済の分野で切れ者として知られていた。近代経済学では若手助教授として、大熊一郎、北原勇両助教授と並んで三羽烏と呼ばれていた。その後教授になられてからは、政府税制調査会で活躍され税の直間比率の是正などに力を注がれ、業績としては消費税率を3%から5%へアップしたり、国鉄の民営化に尽力された。学生時代に受講することはなかったが、友人との間でもよく話題になる先生だった。
一昨年マル経の飯田鼎ゼミ教授が亡くなられたが、今また近経学者だった加藤先生が帰らぬ人となられた。来月大学卒業50年になるが、思い出が少しずつ消えていくような気がしてならない。時の流れとして致し方ないことではあるが、やはり感傷的にならざるを得ない。
今日は恒例の幕張小学校(千葉市)のクラス会が、いつも通り錦糸町の寿司店で行われた。今年は男4人、女4人の元クラスメートが出席したが、最近は大体このくらいの参加者である。男性は幕張から離れて暮らしている者が多いが、女性は今も幕張周辺に住んでいる人が多い。今では小学生当時とは周囲の環境もがらりと変わり、遠浅の海も埋め立てられて、近くには東京ディズニーランドやマリーン・スタジアム、国際コンベンション・センターなどの新しい施設ができて、潮干狩りを楽しんだ往時の海岸の面影はまったく失われたようだ。JR幕張駅前で酒屋を営んでいる合間さんは、両親はもちろん祖父も幕張小学校を卒業したというから驚きである。卒業して60年以上が経ち、すでに鬼籍に入った同級生も10人を降らない。その中でそれぞれ個人的な事情があることを考えれば、まあこれだけ参加できるということは佳しと納得すべきかも知れない。今日まで友人たちはそれぞれに異なった道を歩んできたので、いろいろな体験談などの話を聞くのも興味がある。野球の上手かった川上征二郎君が、中学、高校、大学まで野球を続け、大学2年で野球部を退部したことは初めて知った。3年先輩には、プロ野球・東映フライヤーズのエースとして活躍した土橋正幸投手がいたが、川上君がその事実を知らなかったとは意外だった。
この仲間と一緒にまた海外旅行をしようとの提案もあった。だが、現状では私が世話役を務めるのは難しいと申し訳ないと思いつつ辞退させてもらった。いつまでも子ども時代の無邪気な気持ちを持ち続けていきたいと思っている。解散後まだ早いのでどこかで二次会をしようと、話題の東京駅ステーションホテル内の喫茶室に寄ったところ、土曜日の夕方であるにも拘わらず、幸い比較的空いていて幾分高価なコーヒーをいただきながらゆっくり話をすることができて良かった。案内して一応顔が立った。