高校時代親しかった友人5人と遅れた新年会を持った。銀行マンの轟君、三輪君、証券マンの加藤君、損保に務めた山田君、百貨店へ入った吉水君、そして鉄道会社からトラベル・エージェントマンに転じた私である。JR大船駅近くの中華料理店に集まったが、驚くことに大船駅とその周辺には、近年大型マンションが林立して環境が随分変わった。見違えるような変貌ぶりである。新たにオープンした横浜寄りの駅改札の笠間口が横浜市内に位置しているとは知らなかった。つまり駅自体は横浜市と鎌倉市に跨っているということになる。
今日会った5人とは在学中、卒業後も特に親しかった。6人のうち運動部に入ったのは、野球部2人、サッカー部2人にラグビー部の私の5人だが、野球部とサッカー部の4人は途中で辞めてしまった。意外だったのは、元野球部員から野球部に体罰があったと聞いたことである。確かに入学した時は、春の選抜高校野球大会に出場して野球部人気が沸騰した。多くの同級生が野球部に入部したが、しばらくしてかなりの部員が退部した。残った同級生部員は3年生時に夏の甲子園出場を期待されたが、惜しくも準決勝で慶應高に敗れてしまった。主力だったエースの村木君はその後慶大で4番を打ち、日通でも4番を打っていた。東京オリンピックでは、デモンストレーション・ゲームで日本代表の4番を任された。岩本君は早大で2軍監督をやっていた。今日出席した野球部の2人も中途退部組だが、聞くところによるとかなり厳しい練習と体罰があったようだ。母校では体罰がないと信じていただけに、思いがけない話にしばし愕然とする。考えてみると、その当時野球部とサッカー部は全国レベルにあり、かなり強かった。それに比べるとわがラグビー部は弱小チームだった。そのせいだけでもあるまいが、ラグビー部にはまったく体罰らしきものはなかった。
野球部の2人もサッカー部の2人も体罰で辞めたわけではないが、野球部の1人は1年浪人した末に大学野球部で再びプレーした。
ただ、5人ともに高校で運動部に入ったことに後悔はしていない。いじめとか一方的な暴力とは考えなかったからだ。私もラグビーを最後まで全うしたことに後悔どころか、失うものはなく、得るものが多くて良かった、得をしたと考えている。「ラグビーは友だち作り」とも言われている。確かにラグビーのお蔭で今日まで人脈は間違いなく拡がった。私自身高校ラグビー部OB会長は6年前に退いたが、まだラグビー部の現役部員諸君との関わりは今も続いている。
今日の集まりは1年に1度だが、会わない間に年齢なりに健康問題で悩んでいる友もいる。心臓病で2人が手術をし、脳梗塞で倒れた友もいる。私は健康そうだと羨まれるが、私なりに小さな病の芽が潜んでいることを自覚しているので、気をつけなければいけないと心がけている。
それにしても昨日からどうも風邪気味で、その点では少々情けない。明日内科で診察してもらおうかと思っている。