今日は雛祭りである。女の子のお節句にあやかって女性大使(未定)の話をしたい。
アメリカではオバマ政権が第2期目に入ったが、4年前の第1期スタート時に比べて逼迫した財政問題を始めとして、安全保障やTPP等国内外に多くの課題を抱えている。中々頭の痛いところである。初の黒人大統領として、‘Yes, we can.’と華やかにデビューした第1期スタート時に比較すると、今年はその期待度、存在感がある程度トーンダウンしたのは止むを得ないかも知れない。
閣僚や各国大使も大きく入れ替わるらしいが、今わが国で最も注目されている人事は、ルース現駐日大使の後任として次期大使にどんな重要人物を任命するかということだ。一部には、ジョン・F・ケネディ元大統領の長女・キャロライン・ケネディさんが噂されている。オバマ再選に当って選挙運動で大分貢献したらしい。年齢的にも50代の半ばで脂が乗り切っている弁護士である。もうそんなに時間が経過したのかと改めて思われるほど、大統領暗殺事件は最近のことのようで、当時あまりにも衝撃的だったせいでいつまでも心に残っていたからであろう。あれから早くも半世紀が経過したことになる。当時故大統領の葬儀で父の棺に向かって小さな手を合わせていた可憐な少女の姿は、世界中の人々の涙を誘った。その少女がもうそんな年齢になったかと思うと何がしかの感慨を禁じえない。
まだ、新大使の人事は正式に決定したわけではないが、仮に大使に就任されると日本でも隠れたケネディ・ブームの再来となるのではないかと思う。
今アメリカの首都ワシントンD.C.を訪れると国立アーリントン墓地へ行って、故ケネディ大統領の墓石の前に額づくことが定番の観光コースになった。当時ケネディ大統領のデビューと行動力、スピーチとそのカリスマ性は、その当時若かったわれわれ学生にも強い印象を与えてくれた。それだけに、あっけなく凶弾に倒れて若い命を落としたことが惜しまれたものだ。
番外編ではあるが、私自身ケネディ暗殺にまつわる一風変わった思い出がある。1975年6月、ルイジアナ州シュリーブポート市で開かれた全米自然食品大会に日本からただ1人参加した。その取材記録は、月刊「たべものと健康」誌(75年8月号)に寄稿した。その時、その帰途テキサス州ダラス市に滞在した。その折ケネディ大統領記念館なる建物を見学した。元教科書会社倉庫ビルの現記念館から犯人オズワルドが大統領を銃撃したのだ。その内部で見学者にケネディ大統領暗殺のドキュメントと暗殺シーンを模型と人形を上手く使いながら臨場感を盛り上げて見せてくれたのが興味深かった。だが、反面それは悲劇を喜劇的に見せるように感じて、アメリカ人もよくここまでやるなと思わせるほど意外性のあるものだった。見学後の印象はあまり後味の良いものではなかったことを覚えている。
そう言えば、私が大学を卒業し社会人となったのもこの年だった。あれから早や50年である。その前年にはキューバ危機問題が起きて、東西冷戦下に米ソの対立がエスカレートして一触即発の危機を孕んでいた。残念ながら、あの時代と比べて、今も戦争の危機が消え去ったとはとても言える状態ではない。