今日は忌まわしいあの東日本大震災からちょうど2年である。国立劇場では天皇・皇后両陛下ご臨席の下に慰霊祭が行われた。東北の被災地を始めとして全国各地で犠牲者を弔う慰霊の儀式が執り行われた。ここ数日はテレビも新聞も大震災関連のニュース報道が多くなっている。しかし、今朝の新聞やテレビを見ると改めて震災被害が大きく、復興などと言える状態でないことがよく分かる。
震災からの復興もさることながら、被災地の気持ちに配慮することなく、今では福島第一原発の事故の収束、そして原発再稼動のウェイトの方が強まっているように思えて仕方がない。
昨日も都内で原発反対のデモが行われたが、大震災2年目に当りニューヨーク、ジャカルタ、台北やソウルでも慰霊と原発反対のデモが行われ、地元でも大きな関心事であることを窺わせた。
それにしても福島第一原発の現場はとても収束などと言えるようなものではない。野田前政権がなぜこれを収束と考えたのか不思議である。政治的な思惑があったと考えざるを得ない。汚染水がどんどん溜まり、それが新たに深刻な問題となりつつある中で、廃炉までは今後なお40年の長い年月が必要である。
そんな環境下に2つの場面が印象的だった。そのひとつは、放射能汚染地区から避難させられた人たちが原発再稼動容認派の人たちも放射能防備服を身に着けなければ建屋傍に近寄れない放射線度の高い現場の前に立って、その是非を考えて欲しいと話していた言葉が胸に迫る。
もうひとつは、原発立地内に居住する原発再稼動容認派の人たちに対して、もし仮に原発が事故を起こした時危険を承知したうえで原発再稼動に賛成をしたのだと責められてもその覚悟はできていますねと迫った声が強く印象に残っている。
それにしても政府は、安全が担保されれば原発再稼動を容認すると述べたが、それならその後のスケジュールと情報を国民の前に提示すべきである。経済界などの賛成派の意見におもねるばかりで、はっきりどうすべきか本心を公表していない。今後のロードマップも含めて考え方を堂々公表すべきではないだろうか。自分たちの意見を言わないで、いつの間にか私見が政府の考え方に変質しているのが一番怖い。
怖いと言えば、先日北朝鮮が国連憲章違反で国連安保理事会から制裁決議を受けたことと、米韓両軍合同演習に反発して朝鮮戦争の休戦協定を白紙にすると述べたが、北は今日板門店の南北直通電話を遮断し、本日を期して休戦協定は効力を失くしたと一方的に表明した。エスカレートした北は勇ましく「最後の決戦の時が来た。11日から休戦協定は完全に白紙化された」とも、「侵略の集団を照準鏡に漏れることなく入れ、発射の瞬間を待っている」とも述べている。こうなると最前戦における不測の暴発が怖い。まったく不気味な時代になったものである。