大相撲夏場所は今日千秋楽となったが、相変わらず横綱白鵬の強さが群を抜いて、25回目の優勝を春場所に続く10回目の全勝で飾った。最後三役の取り組みの前に控えに構えていた大関稀勢の里の直ぐ背後に、何と森喜朗元首相が座っているではないか。先の火曜日にトラック島取材旅行の件で事務所に電話した時には海外出張中と言っておられたので、恐らく帰国したばかりなのだろう。来月初めにはまたアフリカへお出かけと聞いているので、国会議員を辞められても中々お忙しそうだ。そのトラック島旅行について今日大酋長の娘、ナンシーさんに旅程と依頼事項を書き送ったところだ。
さて、今朝の日経紙に気になる2つのトピックスが掲載されていた。ひとつは、「縮む死海・悩む観光」との見出しで、中見出しには「毎年1~1.5㍍水位低下、海水注入案も」、「周辺国、対立超え連携なるか」と深刻な事情を取り上げている。昨年6月に死海を訪れ、塩水の中に身体を浸かって浮遊体験をしたが、確かに不思議な体験でそれはあまり味わえない得がたいものだった。実際に体験してみないとこういう不思議な感覚は中々分らないと思う。その時現地で死海は形が少しずつ変わっていると聞いた。記事によれば、かつては1つの湖だったものが、今では2つに分離しかけているという。元々海抜が-420㍍と地球上で最も低い場所にある湖で、降雨量が少なくその水分が蒸発するため塩分濃度は30%と言われている。
今では死海の水位は年々1~1.5㍍も低下して過去20年間に25㍍以上も低下した。死海の恩恵により周辺は観光地として潤ってきたが、今や必ずしもその恩恵に浴さなくなった。沿岸のホテルが水位低下のため沿岸とは程遠くなり、宿泊客に死海に接してもらうために無料バスで沿岸までお客を運んでいるようなケースもある。
その原因として自然現象の他に、企業が沿岸に工場を建て取水量を増やしたことが水位低下に拍車をかけた。とても観光業界だけの努力ではこの逼迫した事態を解決できるはずもなく、両岸のイスラエル、ヨルダン両国による根本的な死海救済対策が急がれている。
もうひとつのトピックは、「ひと言の余韻」という連載エッセイでノンフィクション作家の後藤正治氏が「節義のために」と題して書いた、チェコの名花と言われたベラ・チャスラフスカさんの近況である。東京、メキシコ両オリンピックで体操女子総合優勝を飾ったベラさんは日本人の間に人気が高く、大会でも大きな話題をさらった。実力はもちろん、美人でスタイルが良く、笑顔が良かったことが人気の秘密だったが、オリンピック直後に男子400㍍の代表選手だったオドロジル氏と結婚して話題となった。その後ベラさんは、1968年の「プラハの春」事件で「2千語宣言」に署名して自らの信念を貫き、ソ連支配の当時の共産党体制に抵抗したことにより、以後不遇を囲った。私自身この「プラハの春」で、当時のチェコ・スロバキアへの留学を諦めざるを得なくなった苦い思い出がある。その後4回ばかりチェコを訪れたが、留学断念の哀しいメモリーと、プラハの美しい風景と雰囲気は格別印象に残っている。
後藤氏のエッセイでは信念の人としてベラさんを描いているが、その後別れた夫が酒場で息子ともみ合った末に息子に突き倒され死亡するという悲劇が襲い、ベラさんは鬱病となり長らく療養所暮らしを送っていた。この衝撃的な息子の元夫殺害事件は初めて知った。ベラさんがプラハ市内の一等地にボヘミアン・グラス店を経営していた時に、私も店内へ入ってみたが会えなかった。
東京オリンピックから随分時間が経ったが、ベラさんの素敵な笑顔と容姿は今でも多くの日本人の心に焼き付いていると思う。人生に紆余曲折はつきものだが、前半生が華やかな人だっただけ、また信念の人であっただけに、お気の毒で仕方がない。
スメタナの名曲「モルダウ」のイメージがぴったりの、プラハを流れるモルダウ川から見るプラハ城の景観がまぶしい百塔の街を思い浮かべながら、かつてのヒロイン、ベラ・チャスラフスカさんの回復を心よりお祈りしたい。