2217.2013年6月8日(土) 不意にススム・アイザワ大酋長のお墓参り

 朝ホテルの船着場にナンシーさんが、13歳の長男と3歳の末っ子息子を連れてスピード・ボートでやって来た。そのまま白波を蹴立ててトール島(水曜島)へ向かった。ひとつ気になっていたことは、森喜朗・元首相の父茂喜氏の戦時中の功績と元首相自身への感謝を込めて森家に贈ったとされ、元首相自身も誇りに思っておられる「森島」の存在をナンシーさんが知らないことで、島の人に聞いてもらったが、思い当たる人がいない。森さんからはウエノ島(春島)から水曜島(トール島)へ向かう小さな島と聞いていたので、小さな島々のシャッターを押し続けていたが、どうなることやら帰国後森さんへの話し方が難しくなってきた。夕食に末永さん夫妻をお招きして訪ねてみたが、アイザワ酋長の森さんへどんな表現で言ったのか分らないので、島は残念ながら見つからなかったとでもお話するより仕方がないと思っている。

 50分近くかかってトール島へ着き、やはり親戚が副村長を務めているマッカーサさんとアリンサさん家族を紹介される。大酋長が生まれたのはこの近くだそうだが、今では密林になっていて行き難いという。

 ススム・アイザワが育ったのはそこから海沿いにしばらく進んだ辺りだった。マングローブの生い茂る水路を数分進んだ地点でボートを降りた。小高い平地まで登ると目の前の芝生に綺麗な平屋があり、それがススムが子どものころから育ち、ナンシーさんも成長過程を送った家屋だった。近くには他に家々がなく、ちょっと寂しいような気がした。広いリビングルームの周囲には、ススムの写真や父親、そして家族の写真が飾られていた。これらの写真を大分複写させてもらったので、これも拙稿に利用できる。

 家屋の手前に小さな建物があった。覗いて見たら、ススム・アイザワ酋長のお墓である。ナンシーさんにお墓参りは明日のススムの誕生日ではなかったのかと聞いてみたら、明日は日曜日なので一日繰り上げ変更したとあまり気にしている様子はない。それなら出発前に9日にお墓参りを行うという連絡ではなく、繰り上げて8日に行うと言ってくれればそのように準備したのにと、意外な急展開にちょっと驚いた。そんな事情で折角持参したお線香とマッチ、それに数珠をホテルに置いてきてしまった。

 アイザワ家は全員クリスチャンで、墓石にも十字架が彫られている。遺体は土葬されこの墓石の下に眠っている。私も懐かしいアイザワ酋長を偲んで手を合わせた。額づいてふと横を見ると森喜朗・元首相の日英語の名刺がそれぞれ置かれていた。森さんは亡くなってから2度墓参りをしてくれたと親戚の方々は有難がっていた。

 ボートで再びウエノ島へ戻る途中の飛沫は物凄かった。波が荒くなりボートが縦揺れして身体中びしょ濡れである。ポケットに入れていた書類や手帳まで濡れてしまった。久しぶりにかつてペリリュー島からアンガウル島へ渡った時の大揺れを思い出した。幸いだったのは、空模様があまりぱっとしない中でスコールに襲われなかったことである。

 末永さんから面白い話を伺った。トラックで使われている言葉の中で日本語に近い言葉は、日本人が島へやってきて初めて見られた現象の日本語がそのまま現地語として使われているということだった。例えば、トイレがなかったので便所ができて「ビンジョ」、学校がなかったので「ガッコウ」「センセイ」「セイト」、食器を使用していなかったので「ショッキ」、初めて日本製自動車が入ってきたので「ジドウシャ」等々だそうである。単純なものである。

 われわれが考えてみて一番困るのはインフラとライフラインの未整備ではないかと思う。電気、上水道が行き渡らず、道路も舗装された箇所はほんの僅かである。税制も整備されておらず、結局はアメリカ政府の支援によって国が成り立っているということである。多くの課題を抱えた発展途上国である。アイザワ酋長は草葉の陰から、この島の現状をどう思っているだろうか。

2013年6月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com