今日はナンシーさんの夫であり、「冒険ダン吉」のモデルともされた森小弁の曾孫でもあるエリクソンさんが車で案内してくれた。
とにかくチューク島はインフラの中でもとりわけ道路が劣悪である。街の中心街へ向かうメインストリートが穴ぼこだらけで、そこへスコールのせいで水が溜まっているのでゆっくりと、しかも泥水の中を運転するのだから車は傾くし、揺れるし、車も痛む。話によれば前田建設が請け負って道路整備計画を推進しているようだが、まだところどころしか完成していない。これで予定通り今年中にでき上がるのだろうか少々気になる。
今日一番驚いたのは、敷地内に遺骨収集と戦没者の記念碑がある森正隆さんのお店へ立ち寄った際、店の前でひとりの女性が話しかけてきた。森さんには遺骨収集の際随分お世話になった。その女性が森さんの娘のリンダ・モリ・ハートマンさんだったのだ。森さんには生前2度お会いしているが、温厚でアイザワ酋長とは大分タイプの異なる方だった。リンダさんはエリクソンさんとは従兄弟同士で、森小弁の曾孫にして現在52歳、しかもマニュエル・モリ現ミクロネシア連邦大統領の実妹でもある。父親の森さんには2度お会いしていると話したらびっくりしておられた。今回の訪問の主旨をお話してメール・アドレスを交換したので、これからも交流していきたいと考えている。
アイザワ酋長が通学していた学校を調べているが、何せ戦前から戦中にかけての波乱の時代で当時を証言してくれる人が見つからず、少々往生している。戦時中「国民学校」と呼ばれて現在も古い小学校として残っている建物の写真を撮りまくっているが決定的なものではない。況してやや好い加減な一面のあるトラック島の空気を考えると、ある程度の推察を加えて状況証拠で話をまとめるしかないのかも知れない。
アイザワ家も日本流に考えると中々複雑で、ナンシーさんの兄弟姉妹にはスミオ、スミレの2人を含めて最低2人はいると聞いていたが、どうやら酋長と母エンキエーナさんとの間の子はナンシーさん一人きりで、後の兄弟姉妹というのは酋長と○号さん、○○号さん等々との間にできた兄弟姉妹のようで、彼女がハーフ・ブラザース&ドシスターズは大勢いると言っていたのは、その辺りのことを指しているらしい。あまり立ち入って聞き難い問題である。酋長は佐々木信也さんには俺には子どもが23人いると豪語していたらしいが、この問題をドキュメントとしてどう取り扱い、どうやって表現するか、やや悩み、また頭の痛いところでもある
明日は藤沢市が寄贈した消防車を見せてもらい、アイザワ酋長が手広く経営していた「ススムズ・ストアー」を見学してみたいと思っている。