ホテル・ロビーでチェックアウトを待っていたら、末永さんがトラック島の現状と歴史、特に戦時中の様子についてもっと詳しくお話したいとわざわざ早めにホテルへやって来てくれた。ナンシーさんの話だけでは、父親と親戚関係の話ばかりになって、戦争を知らない世代のナンシーさんはあまり空爆された戦争の事実関係を知らないのではないかと心配されたからである。レストランでコーヒーを飲みながら末永さんから貴重な戦時中の話を伺った。
水曜島のアイザワ家の話から海軍基地、飛行場、戦跡、慰霊巡拝、山本五十六司令長官の話まで随分参考になる話を聞かせてもらった。重要情報提供者としてトラック島で35年に亘って活躍されている方として拙著にぜひご紹介したいと考え、空港まで送っていただいたご夫婦の写真を撮らせていただいた。
チューク空港は国際空港とは言え、空港玄関前に何人ものお年寄りが座り込んで物売りをしている、いかにも南洋の島らしいのんびりした光景である。今や世界でも数少なくなった空港風景である。飛行機は予定通りチュークからグアム経由でほぼ定刻に成田へ帰ってきた。滑走路へ着陸してから空港ビルまで延々20もかけてゆっくり辿り着くとは、成田空港の特殊性とは申しながらスピード時代に随分のんびりしたものだ。
今回の旅行は30数年ぶりのミクロネシア連邦訪問だったので、多くの新しい情報を得ることができた。ススム酋長の生まれ故郷の島・水曜島(トール島)を訪れ、酋長の奥さんにお会いできたことも良かった。また、冒険ダン吉の曾孫・リンダさんにも会えた。しかし、山本長官らの司令本部跡や、旧夏島に残る海軍戦跡を訪れることができなかったのは残念だった。昨日聞いた話では、消防車の引渡し式が11月に決まったようなことを言っていたので、或いはそれへの出席も兼ねてもう一度訪れることも検討する必要があるかも知れない。明日以降じっくり考えてみたい。とにかくナンシーさんや末永さんを始め、幸いにして多くの方々と出会えて貴重な情報を入手することができた。174枚もの写真も撮ることができた。いよいよ明日以降にエネルギッシュに執筆しよう。
取り敢えず、少し体調は崩したが無事に帰れて良かった。今成田エクスプレス車内でこのブログを書きながら自宅へ向かっている。
さて、帰宅したら妻が今朝森喜朗事務所の長谷川秘書から電話があり、明日のアポを延期して欲しいと伝えてこられたそうだが、私にとっても写真のコピーなどを考えると、反ってその方が好都合である。しかし、できるだけ早く旅行のご報告をしたいと思っている。
さあ~て、明日からまた頑張るぞ!